日本と台湾の「仰げば尊し」な関係を生んだ、教育家・伊沢修二の半生

 

美しい師弟愛

伊沢に連れられた第一回講習員45名は、4月11日に芝山巌に着いた。2ヶ月半あまり、伊沢の教えた台湾人生徒らについて台湾語を習い、ほぼ日常会話が出来る程度に上達した。7月1日、卒業式の後、講習員は台湾各地に設立される14カ所の国語伝習所に発っていった。ここで日本語をまったく知らない台湾人の子弟を台湾語で教えるのである。

坂根十二郎は台南国語伝習所の教諭となった。10月7日、開所式。甲科生50名は年齢20歳以上で、通訳、公官吏を養成する目的で毎日25銭を支給した。乙科生60名は7歳以上、今日の公学校教育と同様だが、毎日10銭を支給することで定員を満たした。当時1銭で大きな餅が3個も買えたという。一方、教員・職員たちは8畳間に5人で生活するという節約ぶりであった。限られた予算を生徒の手当てに回してまで教育を広めようとしたのである。

このような各地の国語伝習所が公学校に発展していった。今日の台湾の伝統校の初代校長は、坂根のような講習員が多いという。伊沢や坂根らの熱誠あふれる教育者精神は、師に対する礼に厚い台湾人の伝統と相俟って、各地で美しい師弟愛を咲かせた。

ある台湾人生徒は、公学校で教わった日本の恩師の事が忘れられず、戦後、日本への渡航が許されるや訪ねていった。しかし手がかりは恩師の出身だと聞いた鹿児島のある町の名だけである。その生徒は竿の先に恩師の名前を大書して、その町の駅で誰彼なしに「この先生を知らないか」と聞いてまわった。たまたま地方新聞の記者が通りかかって、その心根に感動し、恩師を探し出してくれたという。

台湾の老人たちが日本統治時代を懐かしく思うのは、このような師弟愛が随所に咲いていたからである。そしてそれが語り継がれて若い世代でも親日感情を抱いている人が多い。台湾のような豊かで自由な隣国が親日感情を持ってくれている事の意義は計り知れない。伊沢や坂根のような我が先人たちの恩は、まことに「仰げば尊し」と言うべきである。

文責:伊勢雅臣

image by: Wikimedia Commons

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
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