腕時計型通信機は逆に現実に近いが…
このように、電話のコード1本とっても、ついているかいないか、その描き方が未来予測的に合っているのかいないのか、論じることは非常に難しいわけです。ことにこれだけ技術が発達して、ふとした組み合わせがブレイクスルーをもたらして生活を変革する可能性が大きくなったこの時代、未来を舞台にしたSFアニメをつくるのは、本当に大変ですよね。と、他人事みたいに言ってはいけませんが……。
そういう考えをめぐらせていると、面白いことにも気づきました。
昨年の暮れに、NTT docomoがアニメや特撮を題材にした広告を打ちました。そこでは、『スーパージェッター』のタイムストッパーや、『ウルトラセブン』のビデオシーバーなど、腕時計型の通信機の映像が引用されていました。現実世界の携帯電話の世界が、その夢に迫っているというイメージ広告だったのです。
ここで引用された作品の大半は60年代中盤から後半、高度成長社会の夢を託して生まれたものです。そのはるかな未来の産物と思われたものは、現実に近づいています。ところが、マクロスのような作品では、ジェッターやセブンよりもあとの時代に作られた作品なのに、腕時計型通信機のようなものは登場していません。当時の視聴者により親近感とリアルな感じをもたらすために、排除されたのでしょうか。
それで未来像としては、結果的にかえって現実とのギャップが出来てしまい、35年前の未来像の方が20年前のものより近いという現象が発生した──これはいったいどういうことなんだろう、と思ったのです。
しばし「アニメの描いた未来」についていろいろ考えてみるのも、面白そうですね。
《付記》技術的にはいろいろズレが生じましたが、当時の雰囲気ということで。Bluetoothは予想どおり、普及にかなり時間を要しました。
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