池田教授「近いうちに、働いて稼ぐのが善ではない未来が来る」

 

アミメアリの不思議な博愛行動が巣の崩壊を招く

少し前にこのメルマガの『生物学もの知り帖 第79回』で紹介したアミメアリは、通常巣を構成するすべての個体が単為生殖する働きアリ2nのメス)で、卵を産むことだけに特化した女王アリはいない。稀にnのオスアリが現れるが、働きアリは交尾器が退化しているので、このオスは繁殖には全く関与できずにただうろうろして死ぬだけだ。子孫を残すためという観点からは無意味な存在だ。でも、意味があろうがなかろうが「あるものはある」のである。

アミメアリの巣の中には働かない働きアリもいて、これも単為生殖をしていて、子供たちも働かない働きアリになる。ニートの子はニートなのだ。働かない働きアリは、自分の世話も子供の世話も、すべて働く働きアリにさせて、自身は子作りに専念するのだから、子孫を残す(自分の遺伝子を残す)という観点からは、当面は極めて機能的である。しかし、働かない働きアリの数があるしきい値を超えて増大すると、アミメアリの巣は崩壊するので、巣の存続のためという観点のみならず、自分たちの子孫の安定的な存続という観点からも、まったく有害な存在なのだしかしあるものはある」のである。

機能主義的観点からもっと不思議なのは、働かない働きアリの面倒を見ている働く働きアリである。働く働きアリの博愛行動の結果、最終的に巣は崩壊して、自分たちの子孫も滅びてしまうわけだから、自分たちの子孫を残す(遺伝子を残す)という利己的な観点からも、巣の存続のために命を懸けるという利他的な(全体主義的な)観点からも、まったく有害な行動だ。しかし、機能主義的観点からは理解不能なことでも存在する限りはあるものはある」としか言いようがないのだ。

利用される「食うために働け」という言説

個人が自分の存在に意味をつけたがるのは人間という存在に固有の病気だという話はしたが、意味には個人が生きた(生きている)時代というバイアスがかかる。その時々に支配的なイデオロギーの影響を受けると言い換えてもいい。すでにあちこちに書いたように、「食うために働けという言説は、人類が農耕を始めて以来、今日までずっと支配的なイデオロギーであった。狩猟採集生活をしていた頃も、餌をとるために体を動かしたに違いないが、それは今われわれが考えている労働とは随分ニュアンスが違っていた概念であったろう。きょう一日の食べ物が採れれば、それ以上働かないのが当たり前の生活と、少しでも多く収穫するために働く、あるいは少しでも多くお金を稼ぐために働く、という生活では、同じ「働く」でも意味合いは全く違う。

print
いま読まれてます

  • 池田教授「近いうちに、働いて稼ぐのが善ではない未来が来る」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け