池田教授「近いうちに、働いて稼ぐのが善ではない未来が来る」

 

「意味という病」が引き起こす悲惨な事件

個人は何かの役に立つために生きているわけでもなければ、意味を求めて行動しているわけでもない。しかし、意味という病に頭を冒された人は、無意味な存在を許すことができず抹殺したくて仕方がなくなるようだ。昆虫蒐集が無意味だという妄想が高じると、趣味のための昆虫採集は禁止と言いたくなるようだし、寝たきり老人や認知症の人や知的障がい者は生きていても無意味だと信じると、早く殺してしまえという話になるのだろう。

国家権力がこういう妄想に取り憑かれるとナチスになるし、個人が取り憑かれると「津久井やまゆり園」で2016年に起こった相模原障がい者施設殺傷事件になる。個人の妄想で殺されるのも、国家権力の妄想で殺されるのも、勘弁してもらいたいが、前者で殺される人の数はせいぜい数十人に比べ、後者で殺される人数は時に数百万人に上ることを考えると、どちらが悲惨かは自明であろう。

人間以外の生物は何のために生きているかといった妄想とは無縁で、別に理由もなく生まれ、子孫を残し(残さない奴もいるけど)、時が来れば死んでいく。生物が生きる目的は子孫を残すことだと、頑なに信じている人もいるが、それはそう信じている人がそう思っているだけで、当の生物は何とも思っていないことは明らかだ。そう主張すると、野生生物自身は何も思っていなくても、自然選択の洗礼を潜り抜けて、子孫を残し続けた生物だけが存続しているのだから、野生生物は結果的にではあれ、子孫を残すために生きていると言っても過言ではない、と反論されるかもしれない。

中には「この世の中に存在するものに無意味なものはありません」という言い方で、寝たきり老人や知的障がい者の存在を擁護する人もいる。一見極めて人道的な言説のように見えるけれども、「無意味なものはありませんと言った時点で無意味なものは価値がないというイデオロギーに取り込まれていると私は思う。私はなぜ、存在するものに意味がなければならないのか、それがそもそも分からない。存在するものは存在するだけで別にいいじゃねえか。「あるものはあり、ないものはない」という名言を吐いたのは古代ギリシャの哲人パルメニデスだ。あるものが気に入らないからといってなきものにしようというのは間違っている。パルメニデスはそこまでは言わなかったけれどね。

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