話が逸れたが、乳幼児が唇だけを使って発する言葉のようなものを喃語と言うが、それらは当然のことながら唇音系の[p][b][Φ][f][m]の音である。例えば「バブバブ」や「バブー」など赤ん坊が[b]音を多用することは経験的に納得できることであろう。また、彼らにとって最も身近な存在である父母もこれら唇音系の音で呼ばれる。その典型例は今や言語を越えて使われる「papa(パパ)」と「mama、mamma(ママ)」であろう。
以下、父について代表的な言語で例を挙げると
英 father [f]音
独 Vater [f]音
仏 pere [p]音
中 父親 [f]音
のように唇音系であることが分かる。
母に至っては
英 mother [m]音
独 Mutter [m]音
仏 mere [m]音
中 母親 [m]音
と[m]音で一致している。
一見すると日本語だけが、父(ちち)[chichi]、母(はは)[haha]といった具合に例外的な印象だが、[ch]の音は歯茎硬口蓋破擦音だから比較的唇音に近いと言えるし、[h]の音は古代には[p]であった訳だから元は唇音であった。
また「mama(mamma)」のことを日本人は、これも赤ん坊にとっては大切な、食事のこととしただけであり、赤ん坊の食事とは即ち母乳であるから間接的には母親のことを指しているとも言える。やはり言語を越えた共通点があるのである。
以上、日本語のハ行音が[p]→[Φ]→[h]と変遷して行く過程を説明してきたが、こういった言語現象に興味を持つことになったのも、やはり幼児体験としてのアニメ『一休さん』があったからである。甚だ個人的ではあるが、『一休さん』の「そもさん・説破」も『後奈良院御撰何曾』もその意味においては自分にとって同じくらい価値あるものなのである。
そして子供の頃に見知った問題を、時を経て、より洗練された別の形で学ぶという体験は、少しだけアンドリュー・ワイルズ的だな、と心の底で思うのである。
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