「友達のような家族に」と全員を“平等”に育てた一家の悲惨な末路

 

先日、ある小学校の先生と話す機会がありました。その先生は20年以上のベテランの方ですが「今の子供たちには今までにない問題が起きてきている」と言うのです。それは相手を敬う事の意味すらわらかない子いて、そのような子は指導のしようがない(全くお手上げだ)と。

年上を敬う事ができる子は、上級生の言葉も、先生の言葉も受け止める事ができる(だから間違っていたら教えてもらえる)。でも敬う事ができない子は、誰の話も全く聞こうとしないので話にならない。それは家庭内で親子の関係ができていない子にとても多いとの事。

きちんと親子の関係(秩序)ができている家庭は、教えればわかってくれる。が、親子の関係ができていない家庭で育った子は、そもそも聞く姿勢がないので、問題児の烙印を押されるだけで、そのうち生徒間でも敬遠されてしまう…と。「この仕事をしていると、家庭って重要だとつくづく思い知らされる」と言われていました。

それを聞いて私は、以前からの心配が現実になっている事に「やっぱりそうか…」と暗い気持ちになったのでした。

秩序って、子供たちの小さい時からの環境がとても大事で、育っていく過程で学んでいくものです。でも、それが全くない家庭で育てば(先生が言われるように)「意味すら分からない」となってしまうし、先生も「分からないならどうしようもない」と諦めざるを得なくなってしまうのです。

ですから「秩序は大事ですよ」「下の子をかばい過ぎてはいけませんよ」「将来を見すえて育ててくださいね」とお話をするのですが、どうやら時代は「平等」を重視し、「秩序」を軽んじてしまう、そんな流れになっているようです。でも逆に言うと、そんな人が増えているからこそ、そこで「相手を敬い、礼儀を知っている子」が賞賛され、可愛がられ、重宝されるとも言えるのですね。

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