ウィル・スミスは逮捕寸前?ビンタ事件で浮き彫りになった日米間の相違とは

 

日本は話を聞いていると文法が逆になっている気がします。

「いや、そりゃあ、暴力はダメだけどさぁ、でも、病気を笑いにしてどーのこーので、ウィルは家族を守ってどーのこーので、クリスってやつは調子にのってどーのこーので…etc……」。

話しているうちに、最初の「暴力」がどうでもよくなるほど、「心情」の部分が多く出てきます。やはり浪花節な感覚、なのかもしれません。

再三、このメルマガで書いたように、とにかくこの国では「ルール」が絶対になります。

あらゆる人種、宗教、習慣の集合体なので、それぞれのお国柄がセットでついてくる「心情」や「価値観」までかまっていられない。

国によっては自分の身内をかなり卑下することが礼儀の国もある。日本もそうかもしれません。“アメリカンジョーク”と日本人がいうように、ジョークのネタの許容範囲が国によっても変わってくる。あらゆる価値観と心情が一切合切ごっちゃになって、その上で、この国は動いている。

で、だからこそ、ルールを決めましょう、とうこと。

で、そのルールは出自、宗教、文化に関係なく、絶対に、絶対に、絶対に、守りましょう、ということになります。なっています。

で、ここでいう「ルール」は「いかなる理由があっても、暴力で解決してはダメですよ」ということです。

もちろん、こんな当たり前のルール、アメリカだけじゃないんだけどね。でも、アメリカはより徹底しないと、日本とは比較にならないほど振り切ったヤツが出てきます。

日本の“ちょい悪オヤジ”みたいなのはいません。悪けりゃトコトン悪い。日本の毒舌コメディアンは、こっちじゃアベレージコメディアン。なので、ルールをより徹底することが、この国で生きていく最低条件になります。

日本では考えられないくらいの金持ちも、日本では考えられないくらいの貧乏も、日本では考えられないくらいの天才も、日本では考えられないくらいのバカも、日本では考えられないくらいのセレブも、日本では考えられないくらいの毒舌ジョークも、すべて混在する。

なので、絶対ルールが日本人には、想像以上に重要になります。

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