取材が終わって、サインを頂きました。紀伊國屋書店NY店で、色紙を買って持参したにも関わらず、サインペンを忘れてしまった。社長にお借りしようとしたところ、猪木さんはおもむろにご自身のバッグに手を伸ばし、中から特大のマッキー油性ペン(黒)を出された。いつも(サインを)頼まれるんでね、といって自前のペンでサインをしてくださった。とにかくファンを最大限に大切にされる人だった。
掲載前の原稿確認のスケジュールを説明させて頂こうとすると「大丈夫」とにっこり。大丈夫の意味は、必要ないってことなのだろうか、そう思っていると「どおってことねえよ、好きに書きなよ」と笑顔を向けてくれた。本物のスーパースターなのだなと感じました。僕ごときの記事で、何をどう書こうが、いまさらアントニオ猪木の世間的イメージは確かに1ミリも変わらない。
世間と、世界と半世紀以上戦い続けた男だけが言えるセリフでした。
その取材から数年間、毎年、編集部に年賀状が届きました。ただのいちインタビュアーにです。
日本は亡くなった後に、どれだけその人が偉大であったかをメディアは取り上げまくります。
生きているうちに、日本全体でもっともっと感謝の意を伝えるべき人でした。いや、本当に。
亡くなった直後、Twitter上では国民の多くが追悼の意をツイートしていました。そのどれもが感動的で、感傷的で、そして感謝的でした。
そのどれにも泣きそうになったのですが、愛弟子、長州力さんの不器用ながら、感謝の言葉のツイートを見た際、とうとう僕の涙腺も決壊しました。
思春期、僕の人間形成に大きく影響してくれた男たち。そうか、、2022年10月2日以降の世界にはアントニオ猪木がいない世界なんだ…。いまだに信じられません。
猪木さん、これから先の人生も「人生のホームレス!」と自ら言い聞かせ、安住安定を拒みます。
猪木さん、つらいことがあったら「馬鹿になれ!」と笑い飛ばします。
猪木さん、元気があれば、なんでもできました。
ありがとうございました。
亡くなった今も、あっちで「どおってことねえよ!」と笑ってくださっていると信じています。
今頃、閻魔大王に延髄切りから卍固めでギブアップとった後、天国リングの中央で、ダー!!って右手をあげてるに決まってる。
(メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』2022年10月2日号より一部抜粋。続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)
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image by: Ogiyoshisan at Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons