娘・お栄が葛飾北斎の絵を描いていた?話題の本『気散じ北斎』が面白い!

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日本国内のみならず世界的にも有名な江戸の絵師、葛飾北斎。彼の作品を目にしたことがある人は多くいますが、北斎がどんな生活をしていたのかご存じの方は少ないのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』』で本のソムリエさんが紹介するのは、葛飾北斎とその娘お栄の知られざるエピソードを紹介した時代小説です。本書で明かされている「驚愕の事実」とは?

葛飾北斎の二番目の妻の子・お栄が北斎の絵を描いていた!?

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気散じ北斎

車 浮代・著 実業之日本社・刊

北斎はお栄,お栄は北斎

富士山を背景とした富嶽三十六景で世界的に有名な葛飾北斎。その絵の一部は、娘のお栄が描いていたということをご存じでしょうか。北斎の二人目の妻の子であるお栄は、北斎が一目を置くほどの画力を持っていました。北斎は「美人画や枕絵では、お栄にはかなわない」とまで言っています。

お栄は20代で北斎の弟子に嫁ぎますが、心身ともに合わず離縁されます。その後は、父子二人で晩年にゴミ屋敷のような長屋暮らしをしながら、二人で絵を描いていたのです。

お栄の画号である「葛飾応為」で残された絵は十数点しかありません。葛飾北斎が数万の絵を残していることと、常に二人で同じ家に住みながら絵を描いていたことを考えれば、多くの絵にお栄の手が入っていたことは多くの人が認めるところなのです。

「葛飾応為」とは、北斎がお栄に与えた画号である・・死んだ後のお栄のよすがを思うと、わずかでも世の中に、葛飾応為の足跡を残しておかねばと考えた(p116)

葛飾北斎は日常生活では、絵を描くこと以外のことは気にしなかったようです。掃除をしないから、晩年はゴミ屋敷のようになり、耐えられなくなると引越すということを繰り返していました。食事は出前や、お栄が買ってきたものや,客人の手土産で済ませていました。北斎は寒い時期にはコタツに入ながら絵を描いていたというのですから、奇人変人だったのです。

絵ばかり描いていた北斎の朝の日課は、起きたら厄除の願掛けとして「日新除魔」の獅子舞の絵を描くことでした。北斎の一日一獅子「日新除魔」を検索してみましょう。

この本の中では、お栄は二人目の北斎の妻の連れ子で、北斎と血のつながりはなかったという設定です。金も食事も暖かい家にも関心はなく、ただひたすら絵を描く北斎と、それを支える娘のお栄を見て、著者は北斎の実の子ではないという仮説を立てたのでしょう。

借金なんて後回しにすりゃあいい・・今は画業を極めることが第一ってことが、なんでわかんねぇんだ(p67)

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