韓国経済は政治的混乱の中で停滞し、長年経済を支えてきたサムスンも最先端半導体の技術的壁に直面している。一方で、日本の半導体企業には復活の兆しが見えてきた。この変化は東アジアの経済地図をどのように塗り替えるのか。韓国経済の漂流と日本の技術力の進化について解説する。(『 勝又壽良の経済時評 勝又壽良の経済時評 』勝又壽良)
プロフィール:勝又壽良(かつまた ひさよし)
元『週刊東洋経済』編集長。静岡県出身。横浜市立大学商学部卒。経済学博士。1961年4月、東洋経済新報社編集局入社。週刊東洋経済編集長、取締役編集局長、主幹を経て退社。東海大学教養学部教授、教養学部長を歴任して独立。
政治も経済も止まった韓国
韓国経済は、24年12月3日の大統領「非常戒厳」によって、政治も経済も止まったのも同然な状況に陥っている。
現職大統領の弾劾訴追は、今回を含めて3回目という異常事態で1月15日には「内乱罪」容疑で尹錫悦大統領が拘束された。韓国民主主義の本質が問われている事態だが、左右両派の対立は一段と先鋭化している。経済的混迷は、今後も不可避の状態だ。
こうした背景による経済の停滞は、一時的な状況で終わるであろうか。
実はここ30年ほど、韓国経済を牽引してきたサムスン半導体が、技術的な壁によって付加価値の高い非メモリー半導体が挫折する事態に見舞われている。最先端半導体「5ナノ」で、歩留まり率が20~30%と超低率にとどまり大赤字状態である。製品の70~80%が不良品という最悪事態だ。サムスンは、操業するほど赤字を作ることから、先端半導体から「撤退姿勢」をみせている。
その象徴的な事例は、米国テキサス州での半導体工場建設において、米政府から補助金支給過程で明らかになった。当初計画では、2026年から「2ナノ」工程を稼動するとして、最大64億ドル受け取る見返りに、400億ドル以上を現地に投資する見込みであった。これが、最終的に26%減と大幅に縮小され約47億4,500万ドルの補助金で本契約を結んだ。サムスンが、最先端半導体生産を確約できなかった結果である。
サムスン電子ファウンドリー事業部のハン・ジンマン事業部長は24年12月、職員に電子メールを送った。その内容は、「他の大型メーカーに比べて技術力が劣ることを認めなければならない」とし、「成熟(旧型)ノード(工程)の事業化拡大のためのエンジニアリング活動に努めてほしい。新たな顧客の確保に全力を傾けなければならない」と苦悩に満ちたものだった。サムスンは、台湾のTSMCと並ぶ世界的半導体企業でないことを自ら明かしたのである。
サムスン衰退の引き金
サムスンは、技術の壁によって成熟半導体メーカーに止まらざるを得ないと宣言したが、なぜこういう事態に陥ったのか。
それは、サムスン半導体が日本半導体技術を「窃取」して始まった、沿革史まで遡らなければならない。サムスンは、日本半導体技術者を高額アルバイトでソウルへ招き、技術を伝授させたのだ。非合法なもので、日本企業へ正式なロイアリティーを払うことはなかった。
こういう形で始まったサムスン半導体が、メモリー半導体は生産できても、技術的に一段上の非メモリー半導体に手が届かなかったのも当然であろう。技術的蓄積がないからだ。
サムスンの技術的脆弱性は、これまで30年以上も改まることなく推移してきた。これ自体が驚きで、サムスン技術陣の「不勉強」を証明している。これは、木造船から鉄鋼船へ飛躍できないようなケースであろう。サムスンは創業以来、必要な技術を外部から導入すれば事足りるとするのが基本方針である。サムスンの出自は商社だ。これが、「必要な技術は仕入れる」という感覚なのだろう。これが、サムスンの半導体寿命を縮めた。非メモリー半導体製造を諦めたからである。
サムスンが、メモリー半導体から非メモリー半導体へ技術的に発展できなかった「壁」とはなにか。それは、製品歩留まり率に現れている。メモリー半導体の製造過程は平易であって、歩留まり率は平均70%とされている。これが、非メモリー半導体になると、製造過程が途端に複雑化する。サムスンの「5ナノ」歩留まり率は、20~30%と推測される。これでは、ビジネスとして成立しないのだ。ライバルのTSMCは、70%見当とみられている。大きな差なのである。