米国経済の「不透明感」と先行指標としての雇用
雇用者数の変化は、企業の景況感や先行きへの期待を色濃く反映します。米国企業は日本企業と比較して、景気の動向に応じて雇用の増減を柔軟に行う傾向があるため、米国雇用統計の数字はよりダイレクトに景気を反映しやすいと言えます。今回の雇用減速は、経営者が「先行き不透明感」を感じている証拠と見られます。
この「先行き不透明感」の主な要因として挙げられるのが、トランプ関税の影響です。
2025年4月にトランプ氏が大統領令により関税導入を発表した際、その後の具体的な影響が不透明であったため、多くの企業が活動を一時的に抑制しました。
これはまるで「経済の血液循環」が一時停止したかのような状態であり、企業の採用活動も停滞したと考えられます。
その後、関税の具体的な内容は決着したものの、輸入業者にとっては新たなコスト負担が発生するため、これが今後の景気に悪影響を及ぼす可能性は依然として残っています。
企業が「今は動かない方が賢明だ」と判断した期間が数ヶ月間あったことで、その「ツケ」が今後どのように現れるのかが注目されます。
長期的な米国経済の構造変化:移民とAIがもたらす影響
短中期的な懸念に加え、米国経済はより長期的な構造変化に直面している可能性も指摘されています。
<移民政策による労働者数・消費への影響>
トランプ政権による移民抑制策は、米国への移民流入を減少させ、結果として労働者数自体の伸び悩みにつながっています。労働者数が伸びなければ、企業が雇用を増やしたくても労働力がないという状況が生まれます。
また、米国経済は個人消費に大きく支えられていますが、移民が減ることで総人口の伸びが鈍化し、結果として個人消費の総量も伸びにくくなる可能性があります。これは、単に失業者が増えるという話だけでなく、経済全体のパイが拡大しにくくなるという、より根本的な問題を示唆しています。
<AIの進化がもたらす雇用の変化>
現在進行中のAI技術の急速な進化も、雇用の構造に大きな影響を与え始めています。AIの活用により、ホワイトカラーの業務が効率化され、これまでよりも少ない人数で多くの仕事がこなせるようになっています。
Microsoftをはじめとするテック企業が大規模な人員削減を行っているのは、このAIによる効率化が背景にあると考えられます。今回の雇用統計の下方修正も、AIの導入によって「人件費をかけて人を雇う必要がない」と考える企業が増えている可能性をはらんでいます。
これらの要因が複合的に作用することで、米国経済の成長のパイ自体が、これまでのような勢いで伸びなくなりつつあるのではないかという見方もできます。
利下げへの期待とスタグフレーションのリスク:FRBのジレンマ
景気悪化の懸念が浮上する中で、市場では利下げへの期待が急速に高まっています。FRBの会合でも、利下げを主張する理事が現れるなど、その兆候は見られます。一般的に、利下げは企業の資金調達コストを下げ、経済活動を活発化させることで株価を押し上げる効果があるため、市場はこれを歓迎する傾向にあります。実際、雇用統計発表後、株価が上昇に転じた背景にはこの利下げ期待があると言えるでしょう。
しかし、FRBは大きなジレンマを抱えています。現在の米国経済は、景気悪化の懸念と同時に「インフレ」というもう一つの大きな問題も抱えているからです。
- インフレ下での利下げのリスク
- スタグフレーションの悪夢
金利を下げると、市場にお金が溢れ、物価がさらに上昇する、つまりインフレが加速する可能性があります。
もしインフレが加速する一方で景気が回復せず、停滞が続くとなると、それは「スタグフレーション」という最悪のシナリオを招く恐れがあります。景気は悪いのに物価は高騰し、人々の生活は苦しくなる状況です。過去のITバブル崩壊時やオイルショック時にも、似たような状況が一部で見られました。
FRBの本音としては、景気が本当に悪化した時の「奥の手」として利下げの余地を残しておきたいと考えています。安易に利下げをしてしまうと、もしインフレが制御不能になった場合、それに対処する手段がなくなってしまうからです。つまり、市場が目先の株価上昇のために利下げを望むことは理解できるものの、それが長期的にはより悲惨な「ハードランディング」を引き起こす可能性があるのです。