ほら、見たことかTPP。米国離脱宣言で万策尽きたアベノミクスの末路

 

「敵であると同時にパートナー」という迷い

この点に関して、4年前のオバマはブレが激しかった。12年の大統領選で共和党の候補となったミット・ロムニーが「当選したら就任初日に中国を為替操作国に認定する」と呼号していたのに気圧されたのか、テレビ討論の場で中国を初めて「と呼び、その後すぐに「と同時に潜在的パートナー」と付け足しはしたものの、09年就任当初の「戦略的パートナーという位置づけからは大きく後退した。

「敵であると同時に潜在的パートナー」という意味は、中国の台頭は力で抑えるしかなく、行く行くは米国の言いなりになるよう屈服させてみせるということにほかならず、そのセンスを背景に米主導のTPPは発動された。その後、13年6月には習近平をカリフォルニアのリゾートに迎えて長時間一緒に過ごして再び「戦略的パートナー」路線に戻っていくのではあるけれども、TPPに関して「ルールを中国に決めさせる訳にはいかない」と言い放った時のオバマは、明らかに「戦略的パートナー」路線からは逸脱していた。

そこにはさらに3つのサブ要因が働いて、TPPをなおさら歪んだものにした。

第1は、商務省・通商代表部の中国アレルギーである。自由貿易のルールを形成する世界的な中心舞台はWTO(世界貿易機関)であって、中国もそれに01年に加盟した。ちょうどその年に始まった「ドーハ・ラウンド」と呼ばれる多角的交渉では、農業、鉱工業品、サービス、ルール、貿易円滑化、開発、環境、知的財産権の8分野について一括妥結をめざしたが、08年妥結寸前で米国と中国、インド、ブラジルなど新興国とが決裂して破綻した。米国は「中国がブチ壊した」と怒り、WTOに見切りを付けて個別のFTAを重ねることで自由貿易を推進する方針に切り替えた。「中国を入れないTPP」は特に通商代表部の強い意向によるところが大きかった。

第2のサブ要因は、内容面での「アメリカ・ファースト主義的な専横である。リーマン・ショック直後の09年に就任したオバマは、強欲な電子的金融資本主義に規制をかけると共に、それだけに頼らずにモノやサービスを地道に創って輸出する産業資本主義の再興を目論んで、10年1月の一般教書では「5年間で輸出を倍増させ、それによって200万人の雇用を創出する」と表明した。が、今さら「カネがカネを生む」金融資本主義を止めて「額に汗して働く産業資本主義に戻れるはずもなく、その中途半端の中で輸出を増やそうとしても、農産物以外に大して売るものがない。それで、農業で強硬姿勢をとると共に、遺伝子操作食品、高額医薬品・医療機器など米国が得意とする特殊な商品や、それらを押し込むための知的財産権やISD(投資家保護)条項などソフト&サービス分野で米国が巨額の賠償金をせしめることができるような異常な仕組みが盛り込まれることになった。

第3のサブ要因は、米国のこれへの関わり方の問題で、周知のようにTPPの原型は、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドという確かに太平洋を隔てて点々と繋がっているとはいえ、国柄も経済事情もかけ離れているが故に利害衝突も少なく(例えばニュージーランドの乳製品は他の3カ国のどことも競合しない)、極めて自由度の高い4カ国の経済連携協定にあった。その自由度の高さにだけ着目して、いきなり米国という巨象のような存在がのし掛かって行って、自国に都合のいい条項を次々に盛り込んでそれを変質させてしまった。

こうしてTPPは米国が参加した時点で、「FTPの化け物」とも言うべき異形のものと成り果てていたのである。

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