政府とマスコミが奪った「日常生活」を取り戻すためには何をすべきか?

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新型コロナウイルスの感染拡大に対し、政府がしてきたことは国民の自由な生活を奪うことばかり。マスコミはそれに加担し不安を煽るばかり。どうしたら、いつになったら制約のない「日常生活」が戻ってくるのか、その道筋は一向に示されません。メルマガ『j-fashion journal』著者で、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが懸念するのは、日々の営みの絶妙なバランスが完全に失われてしまうこと。制限に心血を注ぐのではなく、例えば新型コロナをインフルエンザ並の扱いに変えるなど、日常生活を維持するための政策の必要性を説いています。

日常生活という絶妙のバランス

1.日常生活は動き続ける

新型コロナ感染症を防ぐために、一般市民の日常生活が制限を受けている。最近は、それが当たり前になっていて、誰も疑問に持たないようだ。しかし、考えてみれば不思議な話だ。我々がパンデミックを恐れるのは、日常生活が破壊されるからだ。それなのに、簡単に日常生活を制限するのは本末転倒ではないか。

パンデミックを収束させることと、日常生活を維持することを両立させなければならない。もし、日常生活を制限するにしても、最小限度に抑えるべきだ。人の流れを制限するのではなく、如何に人の流れを維持できるのかを考えなければならない。

政府や政治家は、市民の日常生活の重要性を十分に理解していない。国の経済は、政治や法律が動かしているのではない。日常生活の活動こそ、経済を動かす活動なのだ。

日常生活とは、ある種の予定調和の世界である。毎日の生活は少しずつ異なるが、全体的には昨日と同じ生活が今日も続き、明日も続く。それが日常だ。

人は、朝起きてから、夜寝るまでの間、何をすべきかを知っている。誰に命令されなくても、自分で起床時間を決め、ほぼ同じ時間に起きる。そして、歯を磨き、顔を洗い、着替えて、朝食を取り、トイレに行って、会社や学校に出かける。

ほぼ同じ時間に家を出て、最寄りの駅に向かい、ほぼ同じ時間の電車に乗る。駅に行く道で見かける人も、電車の中で隣り合わせになる人も、大体同じはずだ。もちろん、毎日の小さな変化はある。しかし、その変化もある程度の確率で起きているに過ぎない。全体としては同じように動いているのだ。

会社に着いて、仕事をするのも日常だし、上司や同僚、部下との人間関係も日常だ。仕事のミスで悩んだり、上司のパワハラに腹を立てたりと、毎日変化はあっても、それも日常の範囲内である。多くの場合、問題はあっても会社の経営は成り立っているし、給料も支払われる。そして日常生活を維持している。

会社の帰りに同僚と共に居酒屋に行って、酒を飲みながら、愚痴を言い合いながらストレスを発散するのも日常だ。周囲を見渡せば、様々な人がいる。その人達もそれぞれの日常生活を過ごしている。現場の仕事では私語を禁じられていることは多い。そういう人にとって、仕事が終わって、一杯飲みながら会話をするのが、唯一のコミュニケーションであり、自分を確認する時間だ。その人にとっては、それが日常だ。

居酒屋で働いている人にも日常生活があり、居酒屋に酒や食材を卸している人にも日常生活がある。それらの活動こそ、経済を動かしているのだ。

東京には一千万以上の日常生活があり、それが自律的に動いている。全ての人間が自分のやることを理解して、自分で行動している社会を客観的に見れば、高度なシステムで動いていることが分かるだろう。もちろん、交通事故にあったり、病気になる人もいる。当事者にとっては、非日常的な出来事だが、大きな視点で見れば、それらを含めて日常生活が動いているのである。

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