「タトゥー差別禁止法案」が提出されたNY、温泉にも入れない日本。“意識の違い”はどこにあるのか

Back tattoo of a woman
 

話は外れてしまいましたが、それだけ「差別」に対し敏感で、かつ嫌っている街です。

なので、「タトゥーで差別しちゃダメ法案」が今頃発令されることが少し意外と思えました。なぜなら、僕の周囲のニューヨーカーはほぼ全員入れてます、タトゥー。

街ゆくNYPD(警官)も子供たちの小学校の先生も入れている。隣の家のマリア(推定60歳)の足首にもデッカいジーザスがこっちを向いている。マリアとともにイエス様も横に広がり、唇の両橋が引っ張られて笑ってるように見えなくもない。NYPDのくせに、両腕にドクロはさすがにまずいだろうと日本人の僕は思わなくもないけれど、隠す様子もない。子供の担任のサラ先生はお尻と腰の中間に薔薇の花が咲いていて、彼女がしゃがんだ際、無意識にも薔薇に目がいき、場所が場所だけに慌てて目を逸らさないと、違う目的で見ていると思われかねない。それくらいタトゥーはこの街では身近で、日常です。

そういう僕も。実はここの読者にだけカミングアウトすると、左腕にそう大きくはないけれど、とはいっても10センチくらいのタトゥーが入っています。今から20年ほど前、渡米してすぐの20代の頃、チャイナタウンのインチキ占い師が僕の守り神といってくれた動物と、人生を変えてくれた映画の主人公のコードネームが一致したので(コードネームの時点で何の映画かバレちゃうよ)嬉しくなって、勢いついでにその名前を入れてみちゃった過去があります。若気の至り…、と言ってもすでに20代後半だったけど。

とはいうものの、実は僕は異常なほどの注射嫌い。おそらく先端恐怖症か何かだと思うほど、注射が嫌い。もし1回打てば生涯、注射をしなくていい「とんでも特大注射」があれば打っておきたいくらい、嫌いです。健康診断でもわざわざ電話して、採血があるかどうか確認するほど嫌い。前日は寝つきが悪くなるほど嫌い。当日は朝から若干、憂鬱になるほど嫌いです。「採血しない健康診断なんてこの世にあるんですか?」と電話口で逆に看護婦に聞かれます。皮膚に針を突き刺し、挿入するという行為自体、信じられない。21世紀になって医療現場がどんどん進んでいるというが、血を採るのに、いまだに人間の皮膚に針を突き刺している限り、文明的とはいえないと思っています。閑話休題。

それくらい針を刺される行為を嫌悪しているのに、なぜかタトゥーを入れる際は一切そのことを考えずにスタートしました。最初の一刀目で、「あ、そうか、皮膚に針入れるんだ」と気づき(あたりまえだ)痛くてしょうがない。一瞬の注射ですら、涙目になって、終わった後この世界が薔薇色に見えるほどなのに、いまからデザインするなんて。ありえない。アルファベッドにして8文字。

最初は枠から縁取っていきます。そこまで、なんとか耐えて「あ、もうこれで大丈夫。枠取りしてもらえたから、そーゆーデザインに見えなくもないし」と脂汗を額に滲ませ、腕をしまおうとしました。「おいおい、こんな途中のデザインで終わっちゃったら、うちの店のデザインセンスを疑われるよ」と笑いながら、モヒカン刺青職人は続けます。いや、冗談言ってないんだけど。こっちは至ってマジなんだけど。頭のてっぺんからつま先まで全身タトゥーの彼には、目の前の日本人がジョークを言ってるとしか思えなかったらしい。終わった後は出来に満足というより「二度と刺青なんて入れるかっ!」と誓ったのでした。ということは、消すこともできない。生涯できうる限り、肌に針を触れさせてくないのだから。

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