「平成バブル崩壊後の“失われた30年”は、日本の平凡なサラリーマンにとって、不動産投資で富裕層に簡単に成り上がることができるボーナスステージだった。だが今後は違う。近い将来、リスクを取り過ぎたサラリーマン大家が次々と破産していくだろう」──今回は、投資コンサルタント&マネーアナリストの神樹兵輔さんが、不動産投資のウマ味と怖さ、そして「令和バブル」のサバイバル術を解説。30年前に戻りたいと嘆くよりも、次の30年を見据えて賢く資産を運用していきたいものです。(メルマガ『神樹兵輔の衰退ニッポンの暗黒地図──政治・経済・社会・マネー・投資の闇をえぐる!』より)
サラリーマン大家の独り勝ち。超低金利・マイナス金利時代はいつまで続く?
今回は、いわゆる「サラリーマン大家さん」のアパート・マンション経営など不動産投資がテーマ。これから老後資金の確保を見据えて投資に乗り出そうと考えている人は、ぜひ参考にしていただきたいと思います。
日本で低金利政策が始まったのは、バブル崩壊後の1990年代の後半からです。バブル崩壊の後遺症で金融が目詰まりを起こしてきたからでした。
1993年9月に当時の公定歩合2・25%を1・75%とし、さらに95年4月には1・75%から1%に引き下げます。そして同年9月には0・5%にしたのです(当時の公定歩合とは、日銀の市中銀行への貸し出し金利)。
次いで、97年の金融危機を迎えたのち、98年9月には政策金利を0・25%に引き下げています。
ここからが、もはや「超低金利」といってよいレベルなのです(政策金利とは、短期金融市場の「無担保コール翌日物金利で別名オーバーナイト物のことを指しており、これが金融政策の目標値となり現在に至っています)。
こののち多少の変動を経て、政策金利は0%台が続きます。
こうして、2006年からは「ゼロ金利」が常態化して、今日に至るのでした。
結局、この超低金利時代は、かれこれ今日まで実質30年にもおよぶ長年月となって続いてきています。
不動産投資の成功でサラリーマンを「卒業」する人が続出
その結果、何が起こったのでしょうか。
当時から続く「超低金利」を活かして、不動産に対する「レバレッジ投資」の最大化が試みられるようになったのです。
日銀の政策金利の低下は、公定歩合と同様に、市中の金融機関の貸し出し金利にも影響して、引き下げに向かわせますから、住宅ローン金利をはじめ、金融機関の貸し出し金利は軒並み低空飛行となったのでした。
ちなみに、レバレッジとは「てこの原理」であり、小さな力でも大きな力をもたらすことを意味します。すなわち、少ない自己資金しかなくても、低金利の借金で膨らませた「大きな軍資金」とすることで、不動産投資に活用できることをいいます。
つまり、資金の乏しいサラリーマンでも、レバレッジ(借金)の最大化によって不動産投資に乗り出すことで、打ち出の小づちのようにキャッシュフローが生み出せる状況が到来したのでした。
かつて、80年代後半のバブル期より以前の時代は、サラリーマンが不動産投資を行うには、非常に厳しい制約がありました。
マンションやアパートといった不動産にローンを使って、投資を行おうとするにも、年間のローン返済額のほうが家賃収入よりも大きかったからです。
不動産投資で得られる収益の利回りが2%~3%に対して、不動産投資ローンの金利が7~10%と高く、逆ザヤが生じる状況だったのです。それでも、これが当時の当たり前でした。
ゆえに、バブル期以前の高度経済成長期(1955年~73年)に、マイホーム取得のための住宅ローンは別として、不動産投資ローンを活用して不動産投資を行う人は、非常に少なかったという状況がありました。
では、その頃はどんな人がアパマンに投資できたのか──といえば、土地を保有している人たちが中心でした。
つまり、マイホームの敷地以外での土地保有者といえば、その多くが先祖代々からの継承による「地主」に他ならなかったわけです。
そうした地主以外の人で、不動産投資を行おうとする人は、毎年の家賃収入よりも投資ローンの返済額のほうが大きかったため、差額を自分で埋める「自腹での持ち出し」を覚悟しなければ、不動産投資など行えなかったのです。これを20年~30年と継続させて、自前の不動産資産を築く以外になかったのです。
ところが、80年代後半に株や不動産が、2~4倍に値上がりする資産インフレのバブル景気を経たのち、90年代に入ってバブルが崩壊し、株や不動産の価格が半値以下に下落することで様相が変わったのです。前述の通り、「超低金利時代」が到来したからです。
不動産価格が下落しても、家賃収入は値下がりすることなく、ほぼ今まで通りの価格水準で推移していたのですから、不動産投資での「逆ザヤ」が解消したどころか、新たな収益(キャッシュフロー)をもたらしてくれるようにさえなったわけです。
バブル崩壊で財テクに走った企業は大きな痛手を被った。しかし…
この頃は、バブル景気で「財テク」に走った企業は、大慌てとなっていました。借金して購入した株式や不動産の価格が、半値以下に下落してしまっては、売却して出口に到達しようにも、売却価格よりも借金額のほうが大きいと、売るに売れなくなります。
「損切り」するより「出口」がなかったのです。
そのためこれは、「バランスシート不況」の到来ともいわれました。
バランスシート(貸借対照表)の右側の負債を圧縮する行動が一斉に起こったために、資金需要は枯れて、日銀が低金利政策に転じても、不況が広がったままだったのです。
つまり、企業の「バランスシートの健全化=資金需要の縮小」となり、こうした企業は資産縮小と借金返済に励む以外になかったのでした。これが当時の経済状況でした。
バブル期に借金をして不動産投資を行い、その値上がりを期待してキャピタルゲイン(値上がり益)を得ようと「財テク」に走った企業は、バブル崩壊の結果、物件価格の下落で軒並み「担保割れ」となり、四苦八苦の資金状況を迎えたのでした。
生き残りをかけたこうした企業の多くが、値下がりした不動産資産を損切りで売却し、借金を返すことに専念したことにより不況が広がっていきました。