サントリー社長への異例の転身:M&Aを成功に導くプロ経営者
2014年、新浪氏のキャリアに新たな転機が訪れます。サントリーの佐治会長からサントリー社長への就任を打診されたのです。当初は冗談だと思った新浪氏ですが、佐治会長の毎月の熱心な誘いに押され、異例の転身を決断します。
サントリーは創業家である佐治家と鳥井家による同族経営が色濃い企業であり、持ち株会社であるサントリーホールディングスは非上場。これまで創業家の一員が交互に社長を務めてきた歴史があります。そこに、創業家とは無関係で、内部昇格ですらない新浪氏が「プロ経営者」として招き入れられたことは、経済界に大きな衝撃を与えました。
<変革期におけるサントリーの選択>
新浪氏がサントリーに迎え入れられた背景には、同社が変革期にあったことが挙げられます。2013年には子会社であるサントリー食品インターナショナルが上場し、株式市場からの利益追求のプレッシャーに直面していました。そして翌2014年には、アメリカのジンビーム社を1.6兆円という巨額で買収。ジンビームは世界有数のウイスキーメーカーですが、この大型M&Aの失敗は許されませんでした。
しかし、国内中心に事業を展開してきたサントリーには、海外事業のノウハウも、買収後の経営統合(PMI:ポスト・マージャー・インテグレーション)のノウハウも不足していたと考えられます。そこで白羽の矢が立ったのが、大手企業の経営経験があり、ゴリゴリと改革を進められる新浪氏でした。佐治会長も「私たちだけでは立ち打ちできない」と判断したのでしょう。
<ジンビーム社統合の成功と「やってみなはれ」の解釈>
新浪氏に課せられたミッションは、ジンビーム社の統合を成功させることでした。彼は頻繁に現地に足を運び、改革を推進します。伝統を重んじるジンビーム社の社風に対し、「これまでとは考え方を変えてほしい」と伝え、ハイボールのサーバー開発や、度数を下げて女性や若者も飲みやすい商品展開を提案するなど、積極的な改革を進めました。彼は「アメリカだからとお伺いを立てるのではなく、親会社としてまずは私たちの言うことを聞け」というトップダウンの姿勢で臨んだとされています。
この改革は功を奏し、新浪氏が就任した2014年から直近までの約10年間で、サントリーホールディングスの売上高は約2倍、営業利益は約2.5倍にまで拡大するという素晴らしい実績を残しました。
一方で、サントリーには創業家が大切にしてきた「やってみなはれ」という自由闊達な企業文化があります。社員が自ら出したアイデアを最後までやり遂げることを奨励するこの言葉を、新浪氏は独特な解釈をしました。「自分で発案したからには、最後まで死に物狂いでやり遂げろ」という意味合いを込めて、社員にさらなるプレッシャーをかけたといいます。彼自身が常に高いプレッシャーを背負い、それを周りにも求めるタイプの経営者であったことが伺えます。
サントリー退任とサプリメント疑惑:背景にある「クーデター」説
新浪氏はサントリー社長就任から10年が経ち、直近では社長から会長に就任していました。これは、退任が近いことを示唆する動きと見られていました。そのようなタイミングで発生したのが、今回のサプリメント疑惑です。
この事件について、私は「クーデター」と見ることもできると推測しています。
ジンビーム社の統合が成功し、新浪氏の役割が一通り終わった後、彼の活躍の場が少なくなりつつあったかもしれません。しかし、上昇志向の強い新浪氏がこのまま居続けると、さらに自分のやりたいように動こうとする可能性があり、社内で「目障りな存在」になりつつあったのではないか、という憶測です。もしそうであれば、彼の行動を知る周囲の人間が、今回の疑惑について内部告発を行った可能性もゼロではないのではないかと思います。
(※筆者注:これは根拠のない私の個人的な推測であり、小説の領域です。)
警察の捜査が入った際、新浪氏から会社に報告が上がったとされていますが、形式的には新浪氏が自ら辞任したものの、実質的には会社側から「辞めた方がいい」という話があったとされています。彼が経済同友会の会長職を自ら辞任していないことからも、サントリーの会長職辞任には忸怩たる思いがあっただろうと推測しています。