生産カルテルの胴元JA
コメの生産者組織で最大の実力を持つのは、全農である。生産者カルテルの「胴元」と言える存在だ。生産者カルテルとは、複数の企業が市場での競争を回避するため、生産量や価格、営業地域などについて互いに取り決める行為である。これによって、価格がつり上げられて事業者側が利益を得る一方、消費者は安い商品やサービスを購入できないなどの不利益を被る。生産者カルテルは、こういう弊害を伴うので、独占禁止法によって禁止されている行為だ。
日本農業は、これまで産業という枠組みで議論されることはなかった。食糧自給率維持という、別枠で取り上げられてきた。農水省が、半世紀も減反政策を続けられた理由は、食糧安全保障という農業保護論に支えられていたもので、日本農業が「脆弱構造」という前提である。産業論という視点でみれば、弱体化した産業を放置せず、体質強化して独立して一本立ちできる産業へ押上げる政策が採用される。不思議なことに、日本農政にはそのような視点がなく、ただ農家を保護しておけば良いという安易なものだった。
日本農業は、全農が政治と結びついて最大の「圧力団体」になったことで、産業論という真っ当な視点を奪い去った。選挙のたびごとに有力候補者を支援し、その力を借りて「生き延びる」という消極的な戦術を選択してきた。これが結局、日本農業を弱体化させた大きな理由である。
産業保護主義と結びついて、衰退した産業の典型例は米国鉄鋼業である。米鉄鋼労組(USW)は、政治権力と結びつき鉄鋼保護で関税を引上げて「自滅」への道を歩んでいる。かつて世界一のUSスチールが、日本製鉄に合併される時代を招いた背景だ。
米国鉄鋼業ですら、保護主義に走れば最終的に衰退する例が見られる。となると、日本農業の中核であるコメの国際競争力は今や、いかにして高めるか新たな視点が求められる。日本農政は、保護主義から脱して競争力強化へ踏み出さなければならないギリギリの段階にきているのだ。今回の「令和の米騒動」は、これを考えるまたとない機会となった。
農水省によると、農業を主な職業とする基幹的農業従事者(概数値)は、24年に前年比4%減の111万人で、05年の半数ほどに減っている。このうち、65歳以上の担い手が7割を占めている。今後、後継者不在を理由とした耕作放棄が一気に進む危険性が高まってきた。こういう状況下で、農水省の取っている政策は、ただ「米価を下げたくない」という消極的なもので、これで今後の危機を乗りきれるはずがない。
全農は、農家の貯金を殖やすことに主眼を置いている。それには、米価維持から値上がりへ転換させることだ。全農が、今回の米騒動で敏捷に動かなかった背景は、米価値上がり→農家貯蓄増加→JA貯蓄増加という一連の「好循環」に目が眩んだとみられる。コメ消費者への配慮はゼロであった。コメ消費者は、全農の会員でないから当然かも知れない。
今回の米価急騰は、日本農政がこのまま続けば破綻するという悲痛な「シグナル」なのだ。全農が、これに敏感に反応しないで「旧套墨守」では、あまりにも能がなさすぎる振る舞いである。前述の通り、24年の基幹的農業従事者(兼業を除く)111万人のうち、65歳以上の担い手が7割を占めている。農業は「力仕事」だ。70歳を過ぎたら第一線で働くことは不可能にある。こうみると、日本農業はあと5年で「終焉」を迎える。全農には、この面の配慮がまったくなかった。会員が減ることは、組織衰退につながるのだ。