日本を蝕む神社本庁の「カネと思想」土地転がし、男尊女卑、LGBT差別…八百万の神から反社会的 原理主義的カルトへ

 

出発は「公共性の回復」のための活動だった

神社本庁のそもそもの意義について触れておこう。

神社本庁の発足に尽力したのは、葦津珍彦(あしづうずひこ)という神道思想家だ。明治42年、福岡県に生まれ、玄洋社の頭山満に付いて上京する父親に同行して影響を受け、戦後は神社界の再建と天皇制擁護の立場で活動した。

戦後の神道界には、「一つの宗教のように、教義をつくるべきだ」と考える神職が少なくなかった。そのなかで葦津は、神社にはそれぞれの由来があるのだから、その独立性を尊重せずに教義を統一するのは神社の本質に反することで、神道は、仏教やキリスト教の一宗派と同様の存在と化すべきでないとし、神社それぞれの多様性を尊重し、ゆるやかに祭祀を守る結集体として、1946年に神社本庁をスタートさせた。

やがて、左翼学生運動が過激化・無法化するようになり、葦津は、神社は国民精神の昂揚をはかる立場であり、神社本庁も、時代状況を鑑みて、組織的な活動を強化しなければならないと考えるようになった。

ちまたでは、「神道として統一の教義はなくとも、標準的な解釈が必要ではないか」「本庁の指導不足」という非難の声も高まっていたという。

神道は、個人の御利益を願うだけでなく、国家や人々の安寧のために祈るという機能を持っていて、鳥居の中は、マナーさえ守ってくれるのならどんな誰のことでも受け入れるという精神がある。

その神道の立場から、公共性を回復させたいと考えた葦津は、神道と国家の結びつきを一定程度回復させようと、思想活動に意欲を燃やした。

その活動が、神社本庁のロビー団体である「神道政治連盟(神政連)」の発足(1969年)、その趣旨に賛同する議員連盟「神道政治連盟国会議員懇談会」の発足(1970年)へと続く。

葦津は1992年に他界しているが、1990年代に入ってからは、自民党勢力が分裂し、創価学会を母体とする公明党が政権入りしたことが引き金となり、さらに強固な政治基盤が必要だと考えた神道政治連盟の一部メンバーが結集して「日本会議」が発足している(1997年)。

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