日本企業の判断力も低下「きょう決めなければ先を越される」
過剰流動性相場の前、エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を著し、日本中が大いに図に乗っていた。やがて「日本はアメリカ全土を4回買える」とまで慢心し豪語する者が出てきて、それを皆が本気にした。
比較的クレバーな体質の三井不動産がパリ凱旋門そばのビルを買収して、それが文化遺産であり貸しビルとして改装できないことに後から気づく、というバカを演じた。地道な大家さんである三菱地所はもっとバカを演じ、NYのビルを想像できない高値で買って後年に大損して損切りすることになった。
当時、私が総務担当の常務取締役を務めた三井ホームも、クレバーな体質を持つ冷静な企業だが、ロスアンゼルスのオフィスビルを買って家賃収入を図ろうという提案が元パリ在住の部長から提出され、常務会で可決しそうになったことがある。
「本日中に決めないと、この旨い話は他社に持って行かれてしまう」と言う。その時、日本風のやり方で「私はアメリカの不動産業者のことは分からないが、日本の場合は『今日中に決めろ、現地を見ている暇はない。見ないで直ちに決めろ』なんて話は99%怪しい」と“水を差した”のは私だった。
その私の言葉に、岡村専務という人が「アメリカの不動産屋だって同じさ」と独り言のように言った。そこで会議の雰囲気は急変した。「もっとよく調べてから決める。他社に取られたら止むを得ない」ということになった。後日、私は調査チームを作って調べさせ、結果的にこの物件は「やめ」になった。後で考えるとゾッとする物件だった。
半世紀くらい前に一世を風靡したイザヤ・ベンダサンこと山本七平の名著に『日本人とユダヤ人』(角川書店)がある。そこに「日本人は重大事を会議の空気で決める」という意のことが書かれていて、また別著書にも『空気の研究』というのがあった。私はまさしくそれを思い出していた。
当時の株価は、誰が見ても長続きする価格帯ではなかった。その頃のPERは60倍、今の4倍近い。世界中で一番高かった。ROE(自己資本収益率)に至ってはマイナスであった。世界中で一番低かった。これを異常レベルと言わずして何が異常だろう。
1920年代にアメリカで土地と株価の大バブルがあった。フロリダの海岸が、ヨーロッパからの保養地としてホテル群になるというので暴騰した。契機はリンドバーグが大西洋を無着陸で横断してパリへ着いたことで、この大西洋横断飛行がフロリダ高級保養地ブームに火を付けた。
満潮時には水面下に没するから「土地」ですらなく「海」である。海は国家の管理だから売買不能である。そんなことは常識のはずだが、高値で「海面」が売買された。誰が考えても異常であることが異常でなくなる。バブルとはそういうものである。
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