今回は、元ローソン社長、そしてサントリー社長を務めた新浪剛史氏の人物像とその実績に迫ります。
最近、新浪氏は海外から輸入したサプリメントに大麻成分が含まれていたのではないかという疑惑を受け、警察の捜査を受けました。結果的に大麻成分は見つからなかったものの、サントリーの会長職を辞任する事態となりました。
三菱商事を経て、日本サラリーマンとしては最高峰ともいえる大出世を遂げた新浪氏。しかし、彼がどのような人物で、どのような実績を残してきたのか、具体的に知る人は案外少ないかもしれません。
今回は新浪氏の半生を振り返り、彼の経営者としての特性を深く掘り下げていきます。これは、私たちが企業へ投資する際に、経営者を見極める重要なヒントとなるでしょう。(『 バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問 バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問 』栫井駿介)
プロフィール:栫井駿介(かこいしゅんすけ)
株式投資アドバイザー、証券アナリスト。1986年、鹿児島県生まれ。県立鶴丸高校、東京大学経済学部卒業。大手証券会社にて投資銀行業務に従事した後、2016年に独立しつばめ投資顧問設立。2011年、証券アナリスト第2次レベル試験合格。2015年、大前研一氏が主宰するBOND-BBTプログラムにてMBA取得。
少年時代から垣間見えた「孤高のリーダーシップ」
新浪氏のパーソナリティを理解するためには、まず彼の少年時代のエピソードから見ていきましょう
小学校の体育の授業でチームプレイを行っていた際、背が高く運動神経も良かった新浪少年は、ワンマンプレイに走りがちでした。担任の先生が「もっとチームプレイを大事にしないとダメじゃないか」と指摘したところ、新浪少年は激昂。その次の授業では黒板に「僕は一人で体育をやります」と書き、その授業には姿を見せなかったといいます。
このエピソードは、彼が自分の能力に絶対的な自信を持ち、「俺が一番うまいんだから俺がやればいい」という強い気持ちの持ち主であったことを示しています。この孤高ともいえる自信は、その後の彼の経営スタイルにも色濃く反映されていくことになります。
<挫折を乗り越え、慶應義塾大学へ>
新浪氏の運動神経の良さは、その後も続きます。高校ではバスケットボールに打ち込み、神奈川県で3位になるほどの腕前で、国体選手にも選ばれるほどの実力者でした。しかし、国体後に膝を負傷し、選手生命を断たれてしまいます。これは彼にとって苦い挫折となりましたが、大学時代はバスケットボールを続けられなくなり、新たな道を模索します。
エリート街道の幕開け:三菱商事とハーバードMBAへの執念
慶應義塾大学を卒業後、新浪氏が選んだのは、就職活動において「右に出るものはいない」と言われるほどの超一流企業、三菱商事でした。バスケットボールでの挫折を経て、彼はビジネスの世界での成功ストーリーを描き始めます。
しかし、三菱商事に入社したからといって、成功への階段はまだ始まったばかりでした。社内でエリートとして認められるためには、海外留学、特にアメリカでのMBA取得が不可欠であると感じた新浪氏は、社内選抜に申し込みます。優秀だった彼は選考を順調に進めますが、最終的な役員面接でなんと2回も落とされてしまうのです。これは、当時の役員たちから「こいつはちょっとやばいな、こいつはちょっと違うな」と、人間的な側面で気に入られなかった可能性もあると個人的に推測しています。
しかし、新浪氏はこの挫折で諦めませんでした。彼は「何くそ」とばかりに、会社を通さずに自らハーバード大学のMBAプログラムを受験し、見事合格を勝ち取ります。通常、会社派遣の場合は企業と大学の枠があるため有利ですが、個人で合格するのは非常に熾烈な競争を勝ち抜く必要があります。この自力での合格は、彼の並外れた実力と執念を物語っています。彼は会社に交渉し、「俺は受かったから、会社選抜に関係なく行かせてくれ」と伝え、会社費用でハーバードへ留学することになります。
<買収会社のV字回復:ソデックスコーポレーションでの手腕>
ハーバードMBAから帰国後、新浪氏は三菱商事内で順調に出世コースに乗ります。彼が最初に手腕を発揮したのは、三菱商事が買収した外食産業の会社、ソデックスコーポレーションの社長としてでした。商社のビジネスでは、買収した会社の立て直しや価値向上を行うことが多々あります。
新浪氏はソデックスコーポレーションの売上を10億円から100億円へと拡大させることに成功。この経験で特に彼がこだわったのは「うまい米」を提供することでした。買収した会社の社員食堂を自らエプロンをつけて手伝うなど、現場にも深く入り込み、美味しい米の重要性を肌で感じた経験は、後にローソンでのおにぎり開発に生かされることになります。