近頃「親ガチャ」という言葉が飛び交っています。これは以前に書いた「反出生主義」と同じく、中二病のひとつだと私は考えています。人生経験が少なく、自分の力で自分の環境を変えられない(変えた経験がない)のでしょう。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)
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プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。
ぜんぶ「親ガチャのせい」は中二病
最近ネット上で「親ガチャ」というワードがよく飛び交っています。
これは「子は親を選べない博打であり、ポンコツ親のもとに産まれてきたら人生終わり」という意味を指すようです。
これも、以前紹介した「反出生主義」と同じく中二病のひとつだと私は考えていて、人生経験が少なく、自分の力で自分の環境を変えられない(変えた経験がない)10代に多い印象です。
自分で決断・選択できない無力な若者は、自分以外の誰かのせいにしなければやりきれないからです。
また、彼らは、本人の生きづらさの原因を特定できておらず、だから解決策も見つからない、だから親のせいだ、だからどうしようもないんだ、というネガティブなループに陥っているのではないかと推測します。
つまり「親ガチャ」という人は、「自分は能無しではないのに、たまたま親がハズレだったせいで自分が不遇なだけ。親に恵まれていれば、自分はもっと活躍でき、幸せな人生だったはず」という、自分を守ろうという保身願望が強いのでしょう。
たしかに「ハズレの親」も存在する
ただし、「親ガチャ」を否定できない場面はあります。それは「虐待親」「毒親」です。
「三つ子の魂百まで」ではありませんが、幼少期に養育者から適切な愛情を注がれず、適切な関係を築けなかった(築いてもらえなかった)子は、生涯その呪縛に囚われやすいことがわかっています。
この呪縛は強固で、虐待されて育った子が再び自分の子に虐待をするように、負の連鎖がもたらされるというのはよく知られています。
虐待やネグレクトはもとより、高圧的な親・過保護な親のもとで自分の意志が抑圧される、自分の考えが尊重されないとかで、思考力を奪われて育った子、親の顔色を伺って自分を押し殺して育った子も、やはり自己肯定感が低くなり、適切な自尊感情を持つことができません。
それで人との距離感が掴めず人間関係がうまくいかないとか、他人と比較しては劣等感を抱いたりマウントしたりするようになります。
むろん虐待親も毒親も、グラデーションのように程度が違いますから、どこかで線引きするのは難しい。
だから一律に論じることはできないのですが、そうした生育歴の問題から起こる生きづらさやあきらめの感情から抜け出すには、本人の自覚と意志が必要です。