fbpx

「親ガチャ」依存が示す1億総中二病時代。人生は抽選ではなく先着順、いつ自分のダメさに気づくかの勝負=午堂登紀雄

「見た目は大人、頭脳は子ども」が増えている

ものの考え方も性格も、成長過程で身に付けた習慣に過ぎませんから、「生きづらい」「不遇だ」と受け止める自分の思考のクセを捨て、より希望が持て人生の発展につながる思考のクセへと修正する必要があります。

確かにこれまでの考え方は親の影響を受けており、親に責任の一端はあるでしょう。しかし、いまからは自分で新しい認知の仕方(思考パターン)を獲得することはできます。本人に自覚と意志さえあれば。

むろんこれは簡単なことではありませんが、それが「成熟した大人の知性」です。

そして「成長」とは、そうした親の価値観から脱却し、自分自身の新たな価値観で自分のネガティブな思考のクセを上書きしていくことです。

そのひとつが思春期にやってくる「反抗期」です。これも、親の価値観ではなく自分の価値観で生きようとする内面の変化の発露なのです。

なので十代半ばぐらいまでは「親ガチャ」などと、自分の努力不足を棚に上げ、親のせいにして自分の不遇を呪うという幼稚な発想はやむを得ないかもしれません。

しかし高校を卒業したら、生き方は自分で選べます。進学にしろ就職にしろ、家を出て親から離れ、自由に自分の人生を追求することができるのです。

「そんなの無理」「学費がないから無理」「高卒で就職なんて人生詰む」などという人は思考停止しているだけです。

調べて考えればいろんな方法が見つかります。奨学金もある、通信制大学という方法もある。海外留学なら返済不要の給付型奨学金も多い。公務員という道もあるし、起業という道もある。

私は新聞奨学生として働きながら(新聞配達をしながら)進学しましたが、入学金と学費を肩代わりしてくれて、格安の寮も用意してくれました。

先ほど「思考のクセを自力で修正できるのが成熟した大人の知性」と述べましたが、「お金がないから何もできない」という人は、お金があっても何もできません。

「時間がないからできない」という人は、時間があってもできない。同様に、「親のせいで何もできない」という人は、親が神であっても何もできない。

結局、親のせいにして「自分には無理」と思考を放棄する人は、「見た目は大人、頭脳は子ども、迷探偵、逆コナン!」なのでしょう。

自分がポンコツな「子ガチャ」の可能性を疑ってみる

もうひとつ、親ガチャなどと自分の不遇を親のせいにする人は、視野が狭く自分のことしか見えてないという狭量な人間ゆえに、人生が好転しないということに気が付いていません。

というのは、確かに親は選べないのですが、親も子を選べません。つまり実は本人自身が「子ガチャ」かもしれないということに想像が及んでいない。

私自身、反抗期で中学から高校までの6年間、父親とはほとんど口を聞くことなく高校卒業と同時に実家を飛び出しましたが、当時の父親目線から見れば、「息子にはがっかりした」「とんだ愚息が生まれてきたものだ」と感じていただろうと思うこともあります。

ただそう思えるようになったのは、わだかまりが薄まり父親との関係が温和になってきた20代半ば以降からのことで、10代の頃は「父ちゃんはなんであんなわからずやなんだ」と、自分にも問題があったかもしれないということにはまったく無頓着でした。

いや、幼いがゆえに世界は自分中心で、そういう感受性もなかったのだと思います。

子どもというのは本当に視野が狭い。逆に言うと、視野が狭いからこそリスクを気にせず、無謀とも思える挑戦ができるのかもしれませんが。

しかし納得できる生き方をするには、やはり「他人のせいにしない」という姿勢が必要です。

親がハズレだから自分の人生もハズレというのは、他人に依存するしかない脆弱な生き方を認めることになります。

それでもいいというなら、自分のポンコツさを自覚し、ポンコツ改善には何をすべきか考えるしかない。

また、自分で選べない博打的条件で言えば、さらに国ガチャ、時代ガチャ、環境ガチャというのもあるでしょう。

Next: 生まれる国も時代も環境もぜんぶガチャ。ならばどう戦うか?

1 2 3 4
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー