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不倫ネタ好きワイドショー脳の日本人が知らない「政治の本質とは何か?」=小浜逸郎

「くだらなさ」の源はどこにあるのか

ところで、実は多くの人が、こうした成り行きを「くだらない」「何やってんだ」と感じているでしょう。それでも劣情を刺激されてつい視聴者になってしまう

問題はこの「くだらなさ」の源がどこにあるかです。民衆とはもともとそういうものだと言ってしまえば、身もフタもありません。もう少し、ことの本質をよく見極めてみましょう。

上に挙げた政治スキャンダルには、1つの共通点があります。

それは、「政治に従事する者は道徳的に正しくあらねばならぬ」という金科玉条をタテにして騒ぎを起こしているという事実です。この金科玉条は、日本の政治では、疑われたことがありません。それどころか、日本の国民のほとんどが、この命題を政治家非難や政治批判のために最優先させるべき武器だと考えているようです。

ここ近年、政治家が引きずりおろされた、または引きずりおろされかけた例を思い起こしてみても、国民大衆のほとんどがこういう発想をとっていることがわかります。

猪瀬直樹元東京都知事、舛添要一前東京都知事、宮崎謙介元衆議院議員、今井絵理子衆議院議員、そして上に挙げた人たち。非難や批判の内容は、汚職、公金流用、不倫とさまざまですが、一様にこれらを「道徳的な悪」として糾弾し、それをもって「政治家失格」の烙印を押しつけています。

日本は「政治の本質」がわかっていない

この発想は正しいか。筆者はこう考えます。

ここには、政治家としての力量、業績、能力によってその適性を評価するという基準がほとんど見られません

政治家としての力量、業績、能力とは、案件を広い視野と公共精神をもって考え、知識と経験を活用して適切な政策を立案し、巧みな実行力を駆使してその政策を実現に導くことです。そしてその実現された政策が、実際に国民の福利の増進に貢献したかどうかが絶えずチェックされなければなりません。

断っておきますが、筆者は、上に挙げた人たちが、政治家にふさわしいそういう資質の持ち主だったなどと言っているのではありません。そこそこ能力を持った人もいれば、全然ダメな人もいます。芳しからぬ政策を取った人もいます。

憂うべきは、そういう判断が、該当する政治家たちの評価基準として採用されず、ただ清廉潔白であったかどうかという基準のみによって去就を決定させられてしまうというおかしな風潮が蔓延してしまっていることです。

日本人のほとんどは、近代国家における政治というものの本質がわかっていないのです。

考えてみれば、これは日本の伝統と言ってもよい。儒教道徳が流布した江戸時代から、孝悌忠信、至誠、質素倹約などばかりが尊ばれ、こうした徳義に従わない者は人非人であるかのようなまなざしを受けてきました。

政治家も例外ではありません。江戸時代に沁み込まされた徳治政治こそ良しとする伝統が、いまなお続いていて、国民性の大きな部分を形づくっています。

Next: 国を滅ぼす「危ない道徳」 政治家の本当の資質とは?

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