Facebookは28日、社名を「Meta(メタ)」に変更したと発表。ブランドを捨てなければならないほど、評判はガタ落ちになった。本来であれば、親しい人たちをつなげる素晴らしい機能は、行き過ぎて地獄を生み出している。そして、SNSの王者であるFacebook社が、巡り巡って人々に嫌われるようになり、いよいよSNSの成長も限界に達してきている。SNSの時代は終わりの始まりに入ったように私には見える。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
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プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、主にアメリカ株式を中心に投資全般を扱ったブログ「フルインベスト」を運営している。
ブランドを捨てなければならないほど、ひどい状況に
FacebookはSNSの王者として世界に君臨しているのだが、ここ数年はFacebookの評判はガタ落ちだ。
広告のために炎上させるような投稿がわざと拡散されるようにアルゴリズムを組んでいたとか、世論誘導のための広告でも利益のために垂れ流していたとか、未成年の影響を何も考えていないとか袋叩きになっている。
ワクチンの偽情報だろうが暴力コンテンツだろうが、ページビューが取れて自分たちが儲かるのであれば何でも優先するという企業姿勢があまりにもダーティーだと言われている。
もはや拭い切れないほどの悪評にまみれたこのSNSの巨人は、たまりかねたのか社名を変更すると言い出した。ブランドを捨てなければならないほど、ひどい状況になってきたということだ。
Facebookのような「他人とのつながり」をことさら強調するSNSは、もはや限界が来ていることがはっきりと見て取れるようになった。
人間は無理に「つながり」を強制されている。そのことにたじろぎ、疲れ、怒りさえも感じるようになっている人もいるが、社会は「つながり」を強調するので、そこから抜けられない。
その結果、SNS上で「自分にとって趣味も関心も合わず、どちらかと言えばどうでもいい人間」たちと、わざわざ結びついて友達のフリをしなければならないような「疲れる時代」になったのだ。Facebookがそれをもたらした。
「くだらない世界を作りやがって」という怨嗟が聞こえる
今の時代は「つながり」を強制されるのだ。それを拒否すると変人だと思われ、さらにSNSをしないと「遅れている」とか「友達がいない」とか思われる。
しかし、他人とつながるというのは面倒くさいことだし、「友達がいようがいまいが、そんなことはどうでもいい」と思っている人は、実はかなりいるのではないか。特にSNSでつながるなど苦痛でしかないという人もいるはずだ。
ところが、今の時代は無理やりつなげられるのである。特に若年層はそうだ。SNSでのつながりがなければ、「友達がいない」と思われる。それは自分に人気がないということになるので致命的だと考えるのである。
だから、どうでもいいと思っている人間ともSNSでつながって、友達から何かメッセージが来たら嫌われたくないので必死でコメントを書き、時には自分が充実しているかのような写真をアップしたりして存在をアピールする。
SNSが「強制」される今の社会では、そうしなければならないという義務までもが発生している。SNSは、若者文化の中では、一種の「強制」と化しているという言い方もできる。
しかし面白いことに、現代の若年層は今の中高年よりもよほど孤独だ。学校や仕事が終われば、さっさとひとりで家に帰って、部屋に籠もって、インターネットを見たり、テレビを見たり、ゲームをしたりしている。
そこに友達が介在する余地はない。孤独こそが彼らのライフスタイルである。
それなのに、インターネット内では「友達とつながる」ためのSNSが彼らには必須のツールと化しているのだ。SNSは「友達がいないと思われたくない」ために義理で使うツールとなった。
Facebookがそういう社会を作り出したわけで、だから今Facebookは嫌われているのである。「くだらない世界を作りやがって」という怨嗟が聞こえるようだ。