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Facebookを社名変更に追い込んだ「SNSの毒」。強制された“つながり”が世界を地獄にした=鈴木傾城

恐れているのは「SNS」という名の囲い込みから外れてしまうこと

SNSを心から好きでやっている人もいる。しかし、「友達がいない」「付き合いが悪い」と思われるのが嫌でやっている人もいる。また少数の時は楽しめても「つながり」が増えることによって負担を感じる人も多い。

だからと言って増えた人間をむげに切ることもできず、配慮もあるので新しい申請も断れない。だから、気疲れもすれば心も病んでしまう。かなり無理をしているのだ。

それでも、彼らはSNSを止めない。「友達がいない」とレッテルを貼られるのは恐怖だからだ。「友達がいない」ことを恐れているのではない。「友達がいないと思われる」ことの方を恐れているのだ。

本人はひとりの方が楽だと思っていても、友達がいないと思われれば負のレッテルを貼られる。彼らはそれを極度に恐れる。結局、若者たちが恐れているものの正体は、SNSという名の囲い込みから外れてしまうことなのである。

囲い込み……。

SNSが強制のようになってしまっている今の若者たちは、現実よりもSNSが作り出す世界の「囲い込み」から外されること恐れ、未だかつてないほどに圧力をかけられている。

いつの時代でも誰でも「周囲の目」を気にするが、インターネットとスマートフォンとSNSによって「つながり」から逃れられない現代社会では、その「囲い込み」の強さが尋常ではない。

SNSは、もはや人間の限界を超えるところまで「つながり」を強制し、SNSに人間を縛るようになっているのだ。

「つながり」を徹底的に追求し、世界規模で成功し、もはやそこから逃れられないほど人間関係で縛ったのがFacebookというモンスター企業である。

「いかにも充実しているような写真」を必死で撮って上げる

Facebookが提供するSNSサービスはInstagramもWhatsAppも含め、あまりにも効率的に人々をつなげるようになり、それを世界規模で行うようになった。

人間はもともと「他人とつながりたい」という強い欲求もあるので、Facebookが提供するSNSは責めるべき機能ではなく、むしろ賞賛すべき機能でもあると最初は思われていた。

しかし、Facebookが作り上げた独占的なSNSサービスはあまりにも効率的すぎて人間に大きな負担と圧力をかけるようになっていった。

人々はいつも反応《レスポンス》を求められ、また自分自身の生活や人生そのもののアウトプットも求められている。

しかし、単調で面白くもおかしくもない自分の人生を素のまま晒すことはできない。他の人が充実している中で自分だけ平凡では惨めでわびしく見栄が許さない。

だから、仕方なくSNSにアップするためだけに「いかにも充実しているような写真」を必死で撮ってアップするような馬鹿げたことも始める。

「充実していない」というのは「見込みのない人間」と断定されて評価されないので、自己防衛のために、素の自分を隠してキャラクターを作るしかない。「キャラを作る」というのは、はっきり言って若者たちがSNS時代に作り出した自己防衛であるとも言える。

では、それが成功しているのかどうかは、どうやって判定するのか。

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