2026年3月12日に実施された、「morichの部屋vol.32 フェスタリアホールディングス株式会社 代表取締役社長 貞松隆弥様」の内容を書き起こしでお伝えします。
出演者名
フェスタリアホールディングス株式会社 代表取締役社長 貞松隆弥 氏
株式会社morich 代表取締役社長 森本千賀子 氏
株式会社START UP STUDIO 代表取締役 兼 WEIN/BACKSTAGE Group 執行役員 兼 REAL VALUE CONFERENCE 代表取締役CEO 兼 WEIN M&A 代表取締役CEO 福谷学 氏
morichの部屋vol.32 フェスタリアホールディングス株式会社 代表取締役社長 貞松隆弥様

福谷学(以下、福谷):今宵も「morichの部屋」が始まりました。いろいろな意味で世間は騒がしいですね。
森本千賀子(以下、morich):そうですね。年度末ですから、忙しいですしね。
福谷:年度末というのもありますし、新入社員を迎えられる会社も多いと思います。morichさん、最近はいかがですか?
morich:年度末は駆け込みの消化試合のようなものがあります。行政の方も視聴していらっしゃるかもしれませんが、予算を使い切らなければいけないケースもあるのです。
「morichさん、セミナーに登壇して」といった依頼が、実は3月に大変多いのですよ。消化試合で大阪に行ったり、福岡に行ったり、いろいろしています。
福谷:確かに多いですよね。見るたびにどこかにいらっしゃるなというイメージがあります。
さて、3月を迎えまして、4月となればもう春を迎えるというところです。「morichの部屋」も本日で32回目です。
morich:私は今週月曜日に本を出版しました。『女性リーダーたちのMY LIFE Story Vol.2』という本で、女性の起業家や経営者28人との共著というかたちです。
本日も会場に来ていただいてる方もいますが、その方々の「MY LIFE Story」です。人生ストーリーを語っていただくという本を監修しました。
福谷:もう発売されているのですね。
morich:出版パーティーも行いました。よかったらみなさま買ってください!
福谷:では、宣伝も終了したということで(笑)。
morich:非常にあっさりしていますね(笑)。
福谷:いやいや、ぜひご覧いただければと思っています(笑)。さて、本日も素敵な社長をお招きしています。
morich:実は去年、私は1度お会いしているのです。その時にあまりにも惚れてしまいまして、フォーリンラブです。雷が落ちました。
(一同笑)
morich:めちゃくちゃ素敵なのです。「morichの部屋」をプロデュースしている近藤くんと一緒に食事をしていたのですが、その場で「出てください!」とオファーしました。二つ返事でOKをいただいたのです。とても楽しみにしていました。
福谷:本日のゲストはこの会場に来たことがあるそうですね。
morich:トイレが印象的ということで覚えていらっしゃいました(笑)。
福谷:ぜひ、視聴されている方もお越しいただければと思います。ということで、ご紹介いただけますか?
morich:東証スタンダード上場のフェスタリアホールディングス株式会社、代表取締役社長の貞松隆弥さまです。よろしくお願いします。
貞松隆弥(以下、貞松):よろしくお願いします。
morich:本日もめちゃくちゃ素敵です! 胸元のアクセサリーが大変お似合いです。
福谷:ダンディーです。本当に惚れていますね(笑)。
morich:先ほどからチェックしていました。実はネックレスとリングがおそろいなのですが、後で少しご説明いただきます。まずは簡単に自己紹介をお願いします。
貞松社長の自己紹介

貞松:フェスタリアホールディングスの貞松です。ジュエリーの製造小売を行っている会社で、商品企画をして自分たちの工場で作り、自分たちのショップで売る、いわゆるSPAというスタイルの会社です。鉱山でダイヤモンドなどを掘る以外はすべて行っているという会社です。
OEMで自社ブランドを展開している会社はあっても、自分たちの工場で作っているという会社はあまりないですよね。
morich:そうですよね。企画はしてもOEMですよね。
貞松:すべて自社で行っているのは、おそらく国内に2、3社しかありません。そのような会社です。
morich:ジュエリーは女性の憧れですよ。
福谷:本日も「morichシャワー」を浴びてきたのですか?
morich:会食の時にもいろいろとお話をうかがい、帰ってすぐに貞松社長の情報を調べました。本日もたくさんのお話を聞きたいということで「morichシャワー」を浴びてきました。
福谷:貞松社長は「morichシャワー」をご存知ですか?
貞松:よく知らないのですが、今ビビっています。
(一同笑)
morich:まず、長崎出身でいらっしゃいます。私は去年、五島列島に行きました。長崎は大好きです。
貞松:五島はウニがいいですよね。北海道より絶対おいしい。
morich:めちゃくちゃおいしかったです。
貞松:ただ、行くまでが大変ですけどね。ホバークラフトで行きましたか?
morich:飛行機で五島空港に行きました。それはぜひ今度乗ってみたいです!
その長崎の本当にきれいな海のそばで生まれ育ったということで、お父さまが宝飾店を経営されていたのでしょうか?
貞松:眼鏡屋さんですね。
morich:眼鏡屋さんを経営されていたのですね。どのような幼少期だったのですか?
貞松:もともと、祖父が時計の修理職人だったのです。完全な職人です。昭和50年代に時計がクォーツ化されて、修理では食べられなくなったのですね。そこで私の父親が技術を活かして眼鏡屋を始めたということです。
両親が小さな眼鏡屋を長崎で営んでいたため、小さい頃は学校から帰ってくるとおじいちゃんが遊んでくれて、おばあちゃんがご飯を作ってくれるという家庭でした。
morich:ご両親はお店にいらっしゃったのですね。「いつかは自分もお店を継ぐぞ」という気持ちはあったのですか?
貞松:ぜんぜんなかったですね。もともと私はミュージシャンになりたかったのです。
morich:そうなのですか!?
「自分は天才だ」と勘違いしていたバンド時代
貞松:田舎にいる頃は自分を天才だと思っていたのです。東京に出てきて、そうでもないことに気づきました(笑)。ギターとボーカルを担当していました。本日の会場近くの高円寺で、JIROKICHIというライブハウスに出たこともあります。
東京に出てプロになりたいと思っていました。ですから、眼鏡屋を継ごうなどとはまったく思っていませんでした。
morich:音楽に目覚めたのはいつだったのですか?
貞松:中学生の時からですね。当時は甲斐バンドが福岡からデビューして、レコードに「九州最後の天才」と書いてあったのです。頭に来て「なんでこいつらが最後の天才だって決めるんだ」とレコード会社に電話しました。
(一同笑)
福谷:行動まで起こしたのですね(笑)。
morich:「俺がいるぞ!」ということですね(笑)。
貞松:それくらい生意気な田舎のバカでしたね。けっこういけると思っていたのです。自分で曲も書いていましたが、東京に出てきたらそうでもないことに気づいてしまったのです。
morich:すごい人がいっぱいいますよね(笑)。大学進学で上京されたのですか?
貞松:田舎でバンドをしていたので、進学でも就職でもなんでもいいから東京に出たかったのです。それで大学に進学したのですが、親がその企みに気づき、途中から学費を払ってくれなくなりました。「騙したな」という感じでした。
morich:もともとはお店を経営されていたということですが、お手伝いをしたり商売を学んだりはされていたのですか?
貞松:まったくしていません。中高はギターばかりで「俺は天才だ」と、何も考えていませんでした。
morich:本当ですか(笑)!? では、あまり商売を帝王学として学んだわけではないのですね。
貞松:父親とは商売の話をしたことがないのです。私は1993年に宝石屋を始めました。父親は長崎で眼鏡屋、私は沖縄で宝石屋を始めたため、まったく接点がありませんでした。最終的に眼鏡屋は私が売ってしまったのです。
morich:そうなのですか! 眼鏡屋さんが祖業ではないのですか?
貞松:社歴だけもらいました。
(一同笑)
母の意地と書斎に遺された父の本 亡き両親への想い

貞松:父親が亡くなってから母親は長崎で1人暮らしでした。ずっと東京に出てこいと言っていたのですが出てこなかったのです。最後は膵臓がんで亡くなったのですが、長崎では手術ができないということで東京に出てきました。
結局亡くなってしまって、コロナ禍だったためお葬式は東京で家族葬を行いました。ただ、長崎で長い間眼鏡屋さんをしていたので、偲ぶ会は長崎で行ってあげることにしました。そうしたら眼鏡屋のお客さまや知り合いのおばさんがたくさん来て、私に説教するのです。
「お前は眼鏡屋を売ってしまって、お父さんとお母さんがどんな気持ちでやっていたと思っているんだ」と、説教です。
morich:愛されていたお店だったのですね。
貞松:母親にも女将さんとしての意地があったのでしょう。私は上場してうまくいっていたのですが、地元の人はミュージシャンを目指していた姿しか知らなかったのです。
morich:上場会社の社長だとは見てくれなかったのですね(笑)。
貞松:「メガネのサダマツ」という屋号だったので、「フェスタリアホールディングス」なんて誰も知りません。偲ぶ会の間中ずっと説教されていました。「貞松さんはお店も売られてどうやって生活しているの?」と聞かれた母親は「蓄えもあるから大丈夫なのよ」と答えていたそうです。
これは母の意地ですよ。「息子は東京で何か適当にやっている」と言っていたそうです。死んだ母親に「商人(あきんど)の意地ってこういうことなんだ」と教わりましたね。
morich:息子に頼っているとは言わなかったのですね。
貞松:それは素直に尊敬しましたね。ただ、親不孝者などと言われて、ずっと叱られていました。一言くらい言ってもいいじゃないですか。
(一同笑)
morich:そうですよ。長崎から出た上場会社の社長ですからね。
貞松:父親が亡くなった時にもすごく反省しました。父親の書斎を整理してくれと言われて実家に行ったら、本がたくさんありました。しかも置いてあるだけでなく、みんなラインマーカーが引いてあり、勉強しているのです。
父親には当社の取締役になってもらっていたため、月に1回だけ取締役会の時に会っていましたが、商売の話はぜんぜんしていませんでした。でも、言いたかったのでしょうね。その取締役会の1時間か2時間のために勉強していたのです。聞いてやればよかったなと思って本当に反省しました。
morich:どんな弾が飛んできても大丈夫なように準備されていたのでしょう。
貞松:私は会社を継承していますが、事業は継承していないのです。ですから、親の仕事を継いだ人がすごく羨ましいです。
morich:でも、いろいろなメディアに2代目と書かれていますよね?
貞松:いや、祖父からすると私は3代目ですよ。「事業としては創業者ですね」と言われるのですが、「ぜんぜん創業者ではありません」と答えています。3代目というのは謙遜して言っているのではなく、そもそもジュエリーで失敗しなかったのも祖父の教えがあったからです。
morich:ぜひ、今の経営につながる原体験のようなところをうかがいたいです。
家業を継ぎ、26歳で背負った2億6,000万円の借金

貞松:私はこのような性格なので、完全にゼロから創業していたら、もっと好き勝手にして会社をとっくに潰していると思っています。26歳の時に父親が倒れたのですが、もともとミュージシャンだったので、会社を継ぐ気はまったくありませんでした。
morich:当時はどのような状況だったのですか?
貞松:事務所に入っていました。
morich:そうなのですか! これはメディアに出ていない情報ですね。
貞松:本当に売れなかったですからね。もともとわりと硬派なロックバンドだったのに、事務所に入った途端にすごくイジられてしまいました。
当時THE ALFEEというバンドが流行っていたので、プロの作詞家に歌詞を変えられて、ハードロックのバンドだったのに服装もザビエルみたいな格好をさせられました。ギターの奴なんか「俺はこんなことをやるために音楽をしてきたんじゃない」と言っていました。
(一同笑)
貞松:その頃に父親が倒れて、母親から実家に戻ってきてほしいと言われました。
26歳は微妙な年齢です。このまま音楽で行くのか辞めるのかという話もあり、すごい奴は世の中にたくさんいるとよくわかっていました。実家も捨てられないし、タイミングも良かったので眼鏡屋を継いだのです。
morich:いったん継いだのですね。
貞松:いまだに覚えているのですが、母親はなぜ資金繰りが苦しいのかよくわかっておらず、実は債務超過でした。「売上が足りないから資金繰りが苦しいんだ。もっと売らなきゃ」というすごくシンプルな考えだったため、まず最初に銀行に連れて行かれました。
地元の銀行ですが、満面の笑顔で支店長が出てきました。「息子さんが帰られてよかったですね!」と言われて、すごく歓待されていると思いました。
morich:地銀の方が言いそうなセリフです(笑)。債務が引き継がれるということですね。
貞松:支店長からすると、債務超過の会社に貸したお金を返してもらわなきゃいけないのに、社長は倒れているわけです。母親は明るいだけでよくわかっていない感じなので、息子が帰ってきて後を継ぐことになり満面の笑顔です。
「ここにサインしてください」と言われた書類には見たことがないような金額が並んでいて、「一、十、百、千、万……」と数えたら、2億6,000万円でした。
福谷:わぁ!
morich:本当ですか!?
貞松:逃げようと思いました。
(一同笑)
morich:そのほうが楽だったかもしれません(笑)。
貞松:ところが「これを保証するか? しないか?」と、考えたのですよ。父親は倒れていますし、母親は支店長と一緒になって満面の笑顔で何もわかっていません。支店長はうれしかったのだろうなといまだに思います。サインしてしまったのですよ。
morich:するしかないですよね。
貞松:26歳で2億6,000万円の個人保証です。「やべぇな」と思いました。
福谷:やばいですね……。
貞松:そこから「どうにかするしかない」と考えたのです。この時、この保証をしなかったら、こんなにがんばって働いていません。
morich:それは逆によかったかもしれませんね。
貞松:まずは長崎で眼鏡屋を一生懸命やりました。でも、眼鏡は当時5,000億円くらいしかマーケットがありません。所詮、針金とプラスチックです。たくさん扱う会社には勝てません。「量の論理が働かない、大手じゃなくてもできるビジネスはないか?」と考えました。
morich:まだファッションにはなっていなかったですよね。1人1つあれば十分というものでした。
貞松:眼鏡、宝石、時計はわりと近しい業種と言われていますよね。問屋さんが一緒だったりします。当時はもうバブルが弾けていたため、ジュエリーは急加速で下がっていたのですよ。大手から潰れていました。
morich:そうでしたか。
ジュエリー事業への挑戦でつかんだビジネスチャンス

貞松:眼鏡の市場が5,000億円に対して、ジュエリーの市場はバブルの最盛期に3兆円ありました。それが1兆5,000億円まで下がって半分になり、大手がたくさん潰れていました。でも眼鏡の3倍ではないですか。「誰も見ていない市場だ。これはいいのではないか?」と思いました。
九州は福岡が一番人口が多いのですが、北海道は札幌が一番多いと思います。ところが九州は福岡以外にも鹿児島や熊本、長崎など4、50万人の人口がまとまって存在しているのです。しかも土地があります。当時は郊外型のショッピングセンターの黎明期で、九州は大型のショッピングセンターの実験基地と言われていました。
私は「ここだ」と思いました。今でしたら百貨店やファッションビルに出店しますが、まずはショッピングセンターに出店したいと思ったのです。企画書を作って提案しましたが、相手にされませんでした。
morich:それはジュエリーのお店ですか?
貞松:眼鏡では借金を返せないと思ったので、ジュエリー店の企画書を持って回っていました。実はバンド時代の食えない時に、原宿で針金を曲げて女の子の名前をネームジュエリーにして売るというバイトをやっていたのです。
morich:本当ですか!?
貞松:事務所の給料は6万円でしたが、6万円以上稼げたんですよ。したがって、「これは売れる」という感覚がありました。眼鏡よりジュエリーだと思って、企画書をいろいろなデベロッパーに持ち込んだのですが、「お店はどこにあるんですか? 商品を作ってから来てください」と言われるため、なかなか1号店ができませんでした。
morich:商品も店舗もなく、まだアイデアですものね。
貞松:1993年の9月に「ジャスコ那覇店(現・イオン那覇店)にお店を出しませんか?」という話が来ました。
私は沖縄に出店する気はぜんぜんありませんでした。長崎から沖縄は、大阪よりも遠く、飛行機で行くしかありません。出店する気は無かったのですが、散々断られていたため話が来たことがうれしかったのです。
入院している父親に伝えると「よかったな」と父親も喜んでくれました。でも出店する気はぜんぜんありません。この時に父親から「沖縄まで行って、断ってこい」と言われたのです。これがなかったら今はないです。
父親は「沖縄まで行って断われば、『あの時わざわざ来てくれたから』と、もっと近場の話が来るかもしれない」と考えてのことでした。私も「そうだな」と思って行きました。海水パンツだけ持って、何の資料も持たずにです。
morich:本当ですか(笑)!? 断る気だったのですね。
貞松:沖縄に行ってみると、11月オープンの予定でショッピングセンターがもうできているのです。1階入口近くにあったのは、実はある大手チェーンのドタキャン物件でした。
車社会の沖縄ですが、中心部の国際通りは戦後のバラックがそのまま商店街になったようなところで、駐車場事情が極端に悪いです。そこから車で15分の場所で、駐車場併設型の本格的なショッピングセンターの1階に出店するならば、売れないわけがないと思うじゃないですか。
morich:ビジネスチャンスですね。
貞松:店舗を見た瞬間に「売れる!」と思いました。オープンまで2ヶ月に迫っていたため全国のナショナルチェーンに声をかけているものの、遠隔地の間接コストがかかることから、いい顔をしないという状況です。
わざわざ沖縄に来たのは私だけだったそうです。ジャスコの担当者から「あなたの優先順位は上から数えて16番目だけど、来てくれたから推します」と言われました。
morich:ラッキーでしたね!
貞松:「出店します!」と言って帰ってきました。
morich:即決されたのですね。でも、お父さまには断ってこいと言われていました……。
貞松:父親は「断れと言ったのに受けて帰ってきた」と、激怒しました。入院中なのに寿命を縮めてしまいました(笑)。
オープン初日にガラスケースが割れた!? 沖縄での大成功
貞松:ちょうど眼鏡屋が債務超過を脱したぐらいのタイミングだったのです。知人に宝石屋さんもたくさんいたので「うちの息子を止めてくれ」とお願いしていました。いろいろな方が「なぜ沖縄で売れないか」というデータを持ってくるのですが、私には全部売れるデータにしか見えませんでした。
例えば、沖縄の所得は全国で一番低いです。銀行の預金率も全国最下位なのです。しかし、共働き率は日本一です。さらに、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでおり核家族化してないため、意外と可処分所得は高いのです。
しかも貯金をしていないということは、使っちゃうということではないですか。なおかつアメリカナイズされているので、小学生からピアスをつけています。人が見て売れないデータが、私には全部売れるデータに見えました。
morich:さすがですね! 逆張りですよ。
福谷:見方がすごいです!
貞松:「絶対ここは売れる」と思いました。いよいよ自信満々でオープンすると、売れたのです。
morich:バカ売れですか? 当たったのですね!
貞松:バカ売れです。初日にガラスケースが割れましたから。
福谷:どういうことですか!?
morich:お客さまが殺到して!?
貞松:当時の沖縄は、すごいお金持ち向けの高級宝飾店かサンゴ屋さんしかなかったのです。そこに若い女性のためのジュエリーアクセサリーショップが初めてできたのです。沖縄の本格的なショッピングセンターの1階入口にできたと注目されました。
以前、知花くららさんにお会いした時に「あのお店ですか!?」と言われました。当時高校生だったそうです。
morich:知花さんも知っていたのですね。
貞松:マーケティングの例え話で「アラスカに冷蔵庫を売りに行く」「アフリカに靴を売りに行く」という話がありますが、その一例でした。
morich:なるほど。欲しかったということですね。
貞松:初年度は4億2,000万円売れました。
福谷:すごい!
morich:それはジュエリーの第1号店ですよね。
貞松:第1号店です。当時の『日経流通新聞(現・日経MJ)』が驚いて、「沖縄に信じられないくらい売れる店がある」と報じられました。それで全国のデベロッパーからお声がかかるようになりました。
福谷:うわぁ、すごい! 鳥肌が立ちました。
貞松:これだけは言えますが、運です。海水パンツしか持ってきてないのですから。
(一同笑)
morich:最初は断るつもりだったのですよね。店舗を見た時に「これだ!」と思ったのですね。
貞松:「すごいですね」と言われますが、ぜんぜんすごくもなんともないのです。
morich:運と直感……。
貞松:沖縄に行ったからです。
福谷:いやぁ、原点のお話ですよね。
貞松:その後いろいろな話が来ました。いい物件の話もあって、2号店は福岡にしたのです。3号店は大分で、いつまでたっても長崎に出せない。
(一同笑)
貞松:わりと最初から事業がうまくいったのです。もともと眼鏡屋だったため顧客管理にすごく力を入れていたことやCRMなど、いろいろな理由もありました。しっかりと顧客管理をしてお客さまのLTVを高めようと思ったら、同じことをやったとしても5,000億円のマーケットより1兆5,000億円のマーケットのほうがいいですよね。
例えば、お客さまが最初に購入したのは数千円のお手頃な値段のピアスだったとしても、成長してブライダル用を買ってくれるかもしれません。眼鏡は度数が変わらないと買ってくれません。
福谷:確かにそうですね。
morich:もう壊れないと買わないですよね。
貞松:同じ顧客管理のノウハウを使うなら、絶対ジュエリーのほうがいいと思いました。
morich:やはり購買のタイミングも多いですよね。
貞松:オケージョンごとに誕生日だったり記念日だったり、買うチャンスが何度もあるのですよ。要するに、CRMを回す効果が高いと思ったのです。いろいろな取り組みを行って、わりと最初からうまくいきました。
なぜ人はジュエリーを買うのか? 「ビジュ ド ファミーユ」という答え

貞松:ところが、私はどんどん不安になっていきました。1兆5,000億円まで落ちていたジュエリーのマーケットが1兆円に近づいていたのです。しかし、当社はわりと売れているわけです。そこで、祖父の話を思い出しました。
先ほどお話ししたように、学校から帰るとおばあちゃんがご飯を作ってくれて、おじいちゃんが遊んでくれるような家庭でした。彼はすごく腕のいい職人で時計の修理に命をかけていたわけです。頑固者だったので、私の父に対しては「うちの息子は眼鏡屋なんか始めやがって」みたいな状態でした。
孫の私には「将来どんな仕事をやってもいい。なくならない仕事をやれ。要らんもんはなくなるんだ」と言い続けていました。私はそれが頭にこびりついてるので、「うちの業績は伸びているけれど、ジュエリーマーケットはなくなるのではないか?」と不安になっていったのです。
そこで、業界の先輩たちに「なぜ人はジュエリーを買うのですか?」と聞いて回りました。
morich:確かに。眼鏡や時計はわかりますよね。
貞松:「けっこうな金額なのに、なぜジュエリーを買うのか?」と聞いたのですが、「きれいだから」「資産性が高いから」とおっしゃるわけです。ぜんぜん納得できませんでした。
きれいなだけなら、私はガラス玉でもきれいだと思います。1億円のダイヤモンドも普通にありますが、1億円あったらマンションを買いますよね。
福谷:確かに。
morich:価値もそんなにわからないですからね。
貞松:資産性で考えると、そちらのほうがわかりやすいですよね。ぜんぜん納得できませんでした。
私は最初から海外志向が強く、現在も海外に会社を作っているのですが、ベルギーのアントワープに行った時に、業界で大変有名なガブリエル・トルコフスキー氏(以下、ガビ)と知り合いになりました。
ベルギーで「サー(ナイト)」の称号をもらっている人間国宝のような方です。彼の息子が私と同い年くらいだったのです。
morich:共通点があって、お知り合いになったのですね。
貞松:私がガビに「なぜ人はジュエリーを買うのですか?」と聞くと、笑われてしまいました。「お前はジュエラーだろう? なぜ人がジュエリーを買うのかわかっていないのか?」と笑われました。
彼は「タカヤ、ダイヤモンドはどれくらい前にできたか知っているか?」と、私に聞きました。「マグマの中で、だいたい30億年、40億年前にできたんだよね」と答えると「そうだ。人間が生まれてどれくらいか知っているか?」と重ねて質問されました。私は「20万年くらい前にアフリカで生まれたんだよね」と答えました。
彼は続けて「そうだ。タカヤ、考えてみろ。40億年後には人間はいないぞ。しかし、このダイヤモンドはこのままだ。これを永遠と言うんだ」と教えてくれました。
morich:「ダイヤモンドは永遠の輝き」と言いますよね。
貞松:「ヨーロッパには『ビジュ ド ファミーユ』という習慣があるのを知っているか?」とも言われました。「ビジュ」というのは宝石、「ファミーユ」というのは家族です。
「これは本当に何千年も続いている習慣で、人の命は永遠ではないからこそ、ヨーロッパではこのように唯一の物に想いを託して代々伝えていくんだ。これを家族の宝石『ビジュ ド ファミーユ』と言うんだ。この習慣があったから、宝石は必要だったんだ」と説明されて、鳥肌が立ちました。
祖父が言っていた「要らんもんはなくなる」が初めて解決して、ジュエリーは必要なのだと思えました。
morich:「必要なんだ、要るんだ」と思ったのですね!
貞松:「俺は『ビジュ ド ファミーユ』を伝えるために宝石屋をやろう!」と思いました。日本人が知らないことは、たくさんあるのですよ。
エンゲージメントリングとマリッジリングの本当の意味

貞松:例えば、プロポーズの時にエンゲージメントリングを用意してプロポーズするじゃないですか。「給料の3ヶ月分で買え」とは、デビアスという会社の戦略です。
morich:あれはなぜなのだろうと思っていました。
貞松:なぜ3ヶ月分かと言いますと、当時の結納の相場が3ヶ月分だったからです。「結納品として売ろう」という、あれはデビアスの戦略です。
エンゲージメントリングと言いますが、エンゲージメントは別に婚約だけの話ではありません。社員と会社のエンゲージメントなどもありますし、「つながり」や「強い結びつき」という意味です。本来のエンゲージメントリングというのは、この「ビジュ ド ファミーユ」の習慣から来ているのです。
要するに、代々その家に伝わっていた指輪です。お母さんがおばあちゃんからもらった指輪を、息子がひざまずいて「morichさん、結婚してください」と、女性に渡します。このバトンを受け取ってくださいというのがエンゲージメントリングです。
福谷:へぇー! 勉強になります。
貞松:けっこうプレッシャーがきつくないですか?
福谷:きついです(笑)。
貞松:軽くはないのです。家族のバトンを女性が受け取ってつけるということが、エンゲージメントリングです。
morich:バトンを受け入れたということですね。
貞松:それを結納品の金額にあわせて給料3ヶ月分と……、デビアスは取引先ですが(笑)。
morich:そちらがフォーカスされてしまったのですね(笑)。
貞松:そうです。このようなことを日本人は知らないのです。
福谷:知らないですよね。
morich:初めて聞きました。
貞松:私はガビからそのようなことを教わりました。ちなみに、マリッジリングというのはエンゲージメントリングとは違って、カトリックの習慣なのです。
昔は結婚していいかどうかは教会が決めていたのです。教会の前に「morichさんと貞松さんが結婚します」と張り紙をして、誰か文句がある人は教会に言いなさいと示します。文句がなければ神父が認めます。結婚式で神父が新郎新婦にマリッジリングを渡しますよね。
morich:そのような意味ですか!
貞松:神父が買ってくれたわけではないですよね。
(一同笑)
morich:「認めたよ」ということですね。
貞松:結婚式では、まず神様に誓いますよね。だから神父が渡すのです。これがヨーロッパの本来の習慣です。このようなことを本当に知らないのです。
morich:結婚式では誰も教えてくれないですね。
福谷:知らなかったですね。
貞松:昔は土葬だったので、亡くなった人と一緒にマリッジリングを埋めていました。キリスト教ではジャッジメント・デイ(最後の審判の日)に生き返り、神様が天国に連れて行ってくれるとされています。しかし、指輪がなければ、おじいちゃんやおばあちゃんを探すことができません。
morich:確かに、そうですよね。
貞松:まぁ、余談ですが、ビジネスとして始めてるので、そのようなことを知らないのです。
福谷:めちゃくちゃおもしろいです!
3代目だという自覚 すべてが今につながっていく
貞松:ウィリアム王子もエンゲージメントリングとして、ダイアナ妃の指輪をキャサリン妃に贈ったのです。あれは「ビジュ ド ファミーユ」なのです。
morich:なるほど……。
貞松:これにはすごいバックストーリーがあります。ダイアナ妃はイギリス王室といろいろありました。しかし、息子であるウィリアム王子はダイアナ妃の指輪を贈ったのです。これは意味がありますよね。
それをキャサリン妃は、あの宮殿バルコニーの上で人々に見せました。だから大喝采になったのです。
福谷:えぇー! ちょっと待ってください。「morichの部屋」はこんな番組でしたか?(笑)。
morich:私もこのまま続けていいのかなと思いながら聞いていました(笑)。
貞松:バックストーリーを誰も知らないのです。まぁ、余計な話で申し訳ないですが。
morich:いやいや、これは意味がありますね。宝石が明日から爆売れするかもしれません(笑)。
貞松:ガビから話を聞き、「ビジュ ド ファミーユ」を伝えるためにジュエリービジネスを行おうと思ったから、今があります。あのまま調子に乗ってバンバンお店を出していたら、きっとその後もいろいろな経済危機があったわけです。コロナ禍の時など当社は4ヶ月営業できず、8億円の赤字が出ましたからね。
福谷:うわぁ!
貞松:営業していないのに社員には給料を出し続けるわけです。しかし、それに耐えられたのは、やはり社員も含めて「ビジュ ド ファミーユ」を伝えるために当社のブランドがあるのだと思ったからです。
福谷:大事なことですね。
morich:今思い出しました。実は私のエンゲージメントリングは時計でいいと言ってしまったのです。
(一同笑)
morich:もう1回買い直そうかなと思います。お母さまの物として身につけてもらおうかな(笑)。
貞松:私の祖父が「要らんもんはなくなる」と言っていなければ、私は「ビジュ ド ファミーユ」にたどり着けませんでした。そもそも「沖縄に行って断れ」と、父に言われなかったら沖縄にも行っていません。
morich:確かに。すべてつながっていますね。
貞松:「創業者ですね」と言われて「いや、3代目ですよ」と答えるのは、やはりこの感覚があるからです。
morich:おじいさま、お父さまから引き継いだということですね。
貞松:本当に3代目だなと思います。私自身は大変いい加減な性格で「行け行け!」みたいなところがあります。
一つひとつのジュエリーに込めたバックストーリー

morich:これだけ売れ続けるジュエリーを作り続ける上で、例えばデザインなどに貞松社長の思想や哲学的なものは入っているのですか?
貞松:ジュエリーには、もともと資産性という価値があります。金などは今すごく高値になっていますよね。加えて、クレオパトラの時代から女性を飾っているわけですから、ファッション価値も当然あるわけです。
ところが精神価値、エモーショナルな価値もあるのです。もともと宝石の語源は「ジェム」と言うのですが、イギリスの大英博物館にはその語源となった石、メノウがあります。
太古の昔、原始時代の人間はマンモスやサーベルタイガーから追いかけ回されるほど弱かったのです。しかし、二足歩行で手が使えるからと石をぶつけた生意気な奴がいて、サーベルタイガーが逃げました。「石は身を守ってくれるんだ」と気づいた人間は、石を砕いて磨き、矢じりを作り始めます。
そうすると、磨き方によって、きれいになるものとならないものがあるのです。その中からきれいになるものを身につけて、お守りとして「ジェム」と呼んだのです。「ジェム」とはラテン語でお守りという意味です。
morich:そうなのですか! 高尚なビジネスだと感じてきました。
福谷:32回目にして、初めてお酒をおかわりしてしまいました(笑)。
貞松:ちなみに、大英博物館には「ジェム」の語源になったメノウだと書いてありますが、絶対に嘘だと思います(笑)。誰がその時に磨いた石だとわかるでしょうか? でも書いてあるのです。
morich:「本当か?」と思いますよね(笑)。
貞松:やはり歴史があるビジネスなので、続いてきた理由があるのです。私はその理由をガビから教わりました。
例えば当社のジュエリーには全部意味があるのです。バックストーリーがあります。だから私は社員に「物売りになるな」と言うのです。物を売っているくせに、むちゃくちゃなことを言っています。
morich:ストーリーですか。
貞松:「ビジュ ド ファミーユ」というミッションを売らなければいけません。「ビジュ ド ファミーユ」という習慣が広がったら、世の中が良くなると思っています。「自分だけじゃないんだよ。家族がいて友達がいて、夫婦がいる。自分の生き方を人に伝えることは、すごく大事なことだよ」という想いを、みんな永遠の宝石に込めてきたわけです。
一つひとつのジュエリーには全部意味があり、社員にはその意味を伝えようと話しています。当社には、世界で特許を取っている「Wish upon a star」という、星が浮かび上がるダイヤモンドがあります。あれは……、また余計なことを言っていいですか?
morich:ぜひお願いします! 実はこのお話を聞きたいと思ってメモをしてきました。
貞松:ダイヤモンドの美しさを表す「4C」はよく聞きますよね。基準となる4つのCがあります。まず、大きさと勘違いされますが重さを表す「カラット」です。中の透明度や不純物の量を表す「クラリティ」、色を表す「カラー」、そして「カット」です。
基本的に人間がいじれるのは「カット」だけなのです。カットは「エクセレント、ベリーグッド、グッド、フェア、プア」という段階があり、これでダイヤモンドの値段が決まっています。その基準は約100年前の1919年にマルセル・トルコフスキー(以下、マルセル)という人が決めていて、実はなんとガビの先祖なのです。
福谷:えー! いやぁ、おもしろいです。
morich:ガビと出会えているということが、全部つながりますね。私も友達のように思えてきました(笑)。
貞松:マルセルが「このようなプロポーションスキルで研磨すると、ダイヤモンドは最も輝く」という基準を約100年前に作りました。しかし、輝きが測定できるようになり、間違ってはいないものの、そうでもないことに人々は気づいてしまったのです。
アメリカのGIA(米国宝石学会)という研究機関が、2006年に基準を変えています。例えば、マルセルが作ったプロポーションスキルでは、直径のテーブル面は53パーセントでなければならず、54パーセントになると価値が落ちるのですが、実はあまり関係ないとわかりました。それよりも大事だとわかった基準などを示していますが、一番大事なのは原石の品質なのです。
そこで、2006年に「輝き」と「プロポーション」の両方で「エクセレント、ベリーグッド、グッド、フェア、プア」を決めるようになりました。これには「輝き」の測定器が必要です。日本には鑑定機関が100社くらいあるのですが、「輝き」の測定器は5社くらいにしか入っていません。
morich:そうなのですか?
貞松:これはダメですよね。2006年ではなく100年前の基準で行っているわけですよ。こんなことを宝石屋が言っていいのかどうかわからないですが……、内緒ですよ。一番お金がかかるのは原石の品質なのです。
morich:原石は変えようがありませんよね。
貞松:でも、そうでもない原石を機械研磨で「エクセレント」にしたら……。
morich:あぁ! そうか、ちょっと高く……。
貞松:これ以上は言わないですよ!
福谷:確かに……。
貞松:私は「ビジュ ド ファミーユ」を伝えたくて事業を行っているので、代々伝えていった100年後に「そうでもないよ」と言われたくないじゃないですか。当社では2006年の基準で、GIAの新しい基準のダイヤモンドを作れと言いました。
言う社長は簡単ですが、言われる社員はたまったものではないですよ。ダイヤモンドの研究所まで作りました。これは全部コストですよ。
morich:原石もこだわらなくてはいけないということですね。
貞松:まず良い原石を選ばなくてはいけません。そうなると、全体の約10パーセントから20パーセントしか存在しない「ソーヤブル」というすごく高価な原石です。とにかく最高の物を作れと伝えています。
morich:原価が爆上がりしてしまいますね。
貞松:なおかつ、100年も前のラウンドブリリアントカットの変更バージョンじゃつまらないので、もっとすごいものを作ることにしました。いろいろ試しましたが散々失敗しています。ダイヤモンドは失敗すると痛いですよ。
morich:それはどうしているのですか? 細かく削ったものをいただきたいくらいです(笑)。
貞松:当時の管理本部長は私を縛りつけて止めようとしました。「いいからやれ」と挑戦したのですが、結局行き詰まったのです。やはりラウンドブリリアントカットは完成度がむちゃくちゃ高く、マルセルは本当にすごいのだと思いました。
ダイヤモンドに星が浮かび上がる「Wish upon a star」誕生秘話
貞松:そんな時、ある社員が商品開発会議で「地球最古のダイヤモンドは60億年前にできたという話を聞いたことがありますか?」と質問してきました。
私は「バカを言うんじゃない。地球が生まれて50億年だ。60億年前なら地球より古くなってしまうじゃないか。マグマの中で30億年から40億年前にできたんだよ」と答えましたが、違うと言い張るのです。
大阪にジャパンジュエリービジネススクールというジュエリーの専門学校があります。私はその学校の畠校長と仲が良いため電話して聞きました。「うちの社員がこんなことを言い張っている」と伝えると「社長、あなたが間違えている」と言われました。
morich:真実だったのですか?
貞松:天文学の教授が、宝石の学会で「ダイヤモンド60億年説」を発表したそうです。
130億年前にビッグバンが起こり、120億年前に赤色巨星という赤く燃える星ができました。それがだんだん冷えて110億年くらい前に白色矮星となり、やがて爆発するそうです。白色矮星の根幹にはダイヤモンドに非常に近い物質があり、実はダイヤモンドでできた星が宇宙にたくさん浮かんでいるのです。
morich:そうなのですか!
貞松:20年くらい前にも地球から40光年離れたところで発見されたそうです。でも光のスピードで片道40年かかります。そこに掘りに行って、戻ってきたら死んでしまいます(笑)。
morich:確かに! ロマンがありますけどね(笑)。
貞松:一番有名なのは「ルーシー」というダイヤモンドでできた星です。ビートルズの『Lucy in the Sky with Diamonds』という曲から名付けられました。
畠校長の話を聞いて「ごめん、俺が間違えていた」と社員に謝りました。続けて、「ダイヤモンドは星だったかもしれないね」と、たまたま言ったんです。
morich:あぁ!
貞松:また、別の社員が「不思議に思っていることがあるのですが、アジアの人もアフリカの人もヨーロッパの人も、星に願いごとをするじゃないですか。宗教も人種も違うのに、あれはなぜですかね?」と聞きました。それをまた私は調べるのです。
文化人類学的な話になりますが、太古の昔、人間は星の運行を見て「いつ洪水が来るのか、いつ種を植えたらいいのか」などと考えていました。そのようなところから文明が生まれ、科学が生まれ、宗教が生まれています。全部星なのです。国連の加盟国の半分以上は星がモチーフの国旗です。
福谷:なるほど!
morich:あぁ! 確かに。
貞松:宗教もそこから生まれているので、例えばキリスト教には「ベツレヘムの星」がありますし、ユダヤ教は「ダビデの星」、イスラム教は「三日月と星」です。仏教だって比叡山延暦寺の一番古いお守りは五芒星ですからね。
morich:うわぁ……、つながりますね。
貞松:「星だ! ダイヤモンドに星を出せ!」と指示しました。
(一同笑)
貞松:「星が出なきゃダメだ」と言われても、作る人は大変ですよね(笑)。作るためには数学の話になります。そこで大学と共同研究を行いました。
morich:ダイヤモンドの中に2つの星が見えるという発想をされたのですね。
貞松:種明かしをすると、本当は「3つの星を出せ」と言ったのです。
morich:研磨の角度で出すのですか?
貞松:ダイヤモンドはこの世で一番屈折率が高いので、それをいじるのです。なぜ3つにしたかったかというと、デビアスの「トリロジー」というシリーズがあります。ダイヤモンドを3つ並べて「過去・現在・未来」を表現したデザインですごく売れたのです。
morich:私も持ってます。
貞松:1つのダイヤモンドに3つの星を出そうとしました。しかし、3つでは光が分散しすぎて輝きが減ることがわかったため、2つにしました。「現代女性に過去はいらない。今と未来だけでいい」ということです。
(一同笑)
morich:確かに(笑)!
貞松:小さな星は今の自分自身、大きな星は夢を叶えた自分と愛する人たちというテーマです。開発には4、5年かかりました。すごい人気で大ヒットしているのですが、まだ量産はできていません。
morich:そのコンセプトは買いたくなりますね。私も欲しくなりました。
貞松:輝くだけなら、電球を作っている会社などに頼めばいいのです。そこに意味があることが大切で、ストーリーがなければダメなのです。
morich:ストーリーも大事なのですが、5年の月日をかけたことや調べ上げるという執念もすごいですね。
貞松:やはりミュージシャンなのです。伝えたいことがあるから曲を作るじゃないですか。伝えたいことがあるからジュエリーを作っています。「ビジュ ド ファミーユ」と出会わなければ、今の境地には巡り会えませんでした。父と祖父のおかげですよね。本当にそう思います。
「フェスタリア」の由来とブランドへの想い

morich:ジュエリーはこうでなければいけないですよ! しかし、世の中の男性はここまでのストーリーがあることをまだ知らないですよね。本日視聴していただいた方は本当にラッキーですね。
貞松:これを広めるためにブランドを立ち上げようと思いました。「フェスタリア」という名前は私の造語なのですが、最近はマンションや馬にまでつけられています。
morich:ありますね! 私もこの間見かけました。
貞松:この前も「馬主の方ですか?」と聞かれました(笑)。しかし、「フェスタリア」という言葉は間違いなく私が作ったのです。
イタリア語の「festa(特別な)」と「aria(場所・空間)」を組み合わせました。「人生の特別な時に特別な場所になりたい。その意味を買ってもらいたい」と思い「フェスタリア」と名付けました。
morich:ロマンチストですね。
福谷:すばらしいですね。
morich:貞松社長の曲も聞いてみたいです。どのような歌詞なのでしょう。
貞松:今度カラオケに行きましょう!
morich:カラオケに入っていますか?
貞松:売れなかったため入っていないです(笑)。
(一同笑)
morich:自社の商品やブランドにここまで意味があるのは、本当に素敵なことだと思います。
貞松:だからこそ、会社が潰れなかったのだと思います。
morich:これは社員の方々もご存じなのですか?
貞松:知っています。新卒採用の大学生が入社する一番の動機は「私も『ビジュ ド ファミーユ』を伝えたい」なのです。
福谷:すばらしすぎますね!
たくさんのお客さまとの忘れられないエピソード
貞松:ある時、秘書が「『ビジュ ド ファミーユ』は、お店にたくさんあるのですよ」と教えてくれました。それはそうですよね。気がついたら宝石を買っていたという人はいないわけで、何か理由があって来店されているわけです。
社員に協力してもらい、それを記録することにしました。本日お持ちすればよかったのですが、忘れられないお客さまとのエピソードをエッセイにして、18年間ずっと冊子を作っているのです。
morich:それは感動しますね。
貞松:最近はそれを動画にしています。最新のものは泣けますよ。
早朝、あるお店に旅行中の男性がいらっしゃいました。まだお店が開いておらず、たまたま出勤した社員が、外からお店を見ている男性に気づきました。お客さまだと思って声をかけると「娘にピアスを買ってあげたい」とのことでした。
「病気をしていた娘が退院するから買ってあげたい」と、一緒にピアスを選びました。社員は「お嬢さまはがんばったのだから、ずっと付けられるものがいいですよ」と勧め、ご購入いただきました。しかし後日メールが届き、娘さんは小児がんで亡くなったそうです。
morich:えぇ……。
貞松:娘さんはずっとピアスに憧れており、旅先でたまたまお店を見て買おうと思ったそうです。「娘は最後の1週間、非常に喜んでピアスを付けて亡くなりました」というお礼のメールでした。
当社の社員は「快気祝いにいいですよ」と販売してしまったため、非常に反省しました。でも、わからないですからね。
morich:わからないですし、男性もおっしゃらなかったのですね。
貞松:その後しばらくして、男性から直接お電話をいただき「ありがとうございました」とおっしゃっていただきました。社員が「あの時は快気祝いと言ってしまい、申し訳ありませんでした」と謝罪すると、「今はあの時のピアスを妻がつけています」とのことでした。
morich:えぇ……!
貞松:奥さまは娘さんが亡くなってしばらく立ち直れなかったのですが、娘さんが最後に大変喜んで付けたピアスをつけることで、ずっと一緒にいられるとおっしゃったそうです。これこそが「ビジュ ド ファミーユ」なのです。
morich:すごいお話ですね。
福谷:すごいです。
貞松:そのようなエピソードがお店にはたくさんあります。単なるファッションではないのです。これがヨーロッパで何千年とジュエリーが続いてきた理由です。
morich:32回目にして、すごいお話です(笑)。
福谷:後ろで観覧している方々も感動して泣いていますよ。
貞松:そのような話をエッセイにしています。人は想いがあってジュエリーを購入しています。これがエモーショナルな精神価値なのです。
morich:そうですね。背景や想いがあり、それがちゃんと引き継がれていくのですね。
貞松:「100年後には無いよ」と言われたくはありません。間違いなく残っているものです。それがわかってもらえるかどうかはわかりませんが、社員はわかっています。それが一番大きいです。
morich:おじいさまがおっしゃっていた「要らんもんはなくなる」という言葉を思い出します。必要なものだということですね。
貞松:本当にこの仕事をしてよかったと思っています。音楽に非常に近いです。
福谷:本当にすごいですね。本日はここで締めますか?
(一同笑)
morich:本当にすばらしいです。
貞松:私は運がよかっただけです。たまたま多くの出会いがありました。
morich:ご自身で引き寄せているのだと思います。一つひとつにこだわり、追求したいという姿勢は、貞松社長がもともと持っていたものですよね。
貞松:クリエイティブ気質が強いのだと思います。伝えたいという想いがすごくあります。
morich:だからこそ出会うのですね。そうでなければ、そこまで到達できなかったかもしれません。
貞松:本当に人のご縁に恵まれていると思っています。
ビジネスを広げる2つのこだわりと今後の展開

貞松:まだ詳しくは言えないのですが、来月IRで発表しようと思っていることがあります。全然違うことをやろうと思っています。
morich:本当ですか? ジュエリーですか?
貞松:ジュエリーではありません。
morich:そうなのですか!?
貞松:私は物事を非常にシンプルに考えます。何かを伝えたい、ニーズに対してソリューションを提供したいという想いや、「ビジュ ド ファミーユ」を伝えるためにジュエリーを販売しています。
ビジネスを広げる時、私は2つのことにこだわっています。「同じお客さまに違うものを買っていただくか」「同じ商品を違うチャネルで販売するか」です。
現在、両方を行っていますが、当社のお客さまが望んでいるものは他にもたくさんあるため、その第一弾を発表しようと思っています。みなさまが考えていないようなことです。
morich:想像がつかないですね。
貞松:「ビジュ ド ファミーユ」を望み、その価値に共感されているお客さまが、次に何を望むかということです。
morich:いつローンチですか?
貞松:日程はまだ決まっていませんが、4月中には行います。
morich:みなさま、注目ですね。
貞松:みなさまがひっくり返ると思います。本日の社内会議で話したのですが、「そんなことを行うのですか!?」と言われました。
福谷:もう言ってしまいそうですね(笑)。
貞松:会議では「イーロン・マスクが2030年までに火星に移住するよりは現実的だ」と伝えました。
(一同笑)
morich:楽しみですね。株価が爆上がりしそうですね。
福谷:大変楽しみです。
貞松:ぜひ楽しみにしてください。けっこうみなさまびっくりすると思います。
morich:本日のストーリーからつながっていますからね。
福谷:「morichの部屋」で取材に行きます(笑)。
貞松:時代が進むにつれて、お客さまの間でもトレンドがなくなっています。フィリップ・コトラーの「マーケティング3.0、4.0、5.0」の変化と同じで、「これが良い」というものに共感する人が集まり、コミュニティ化する時代です。万人に受け入れられようとするのは無理です。エモーショナルな価値を大事にする人が次に何にこだわるかが重要です。
「職人の孫」だからこその視点で商品作りと向き合う
貞松:当社にはベトナムに直営工場があり、約100人の職人がいます。20年かけて育てました。20年前に工場を設立した時、安価な工場を作る気はありませんでした。
もともと山梨県の甲府で製造していましたが、職人が高齢化し、不足していました。一方、ベトナムには若い人が多く、手先が器用で真面目です。そこで技術移転をしようと考え、20年かけて甲府の職人をベトナムに派遣し、ベトナムの職人を日本に留学させました。
昨年、伊勢丹の担当者から「海外ブランドが値上げで高騰している中で、クオリティで負けずに、価格を半額程度に抑えられないか」と相談を受けました。記念商品として作りたいとのことだったので、当社のベトナム工場で製造することになりました。
福谷:このまま公表してしまいそうですが、大丈夫ですか?
貞松:これはお話しして大丈夫です(笑)。実際に製造したところ、非常にすばらしい商品ができ、人気を集めました。
morich:伊勢丹でしか買えないのですか?
貞松:3ヶ月間は伊勢丹限定として、その後は他の百貨店にも展開する予定です。先行者メリットとしてはそれで十分だというお話がありました。
私はもともと職人の孫として、商品作りに関わっています。クリスマス限定商品というものがありますよね。あれは12月25日までしか売れません。全部売り切れればいいですが、残ることもあります。
morich:いつもどうしているのかと思っていました。
貞松:残った商品を春のバーゲンで販売したら怒りますよね。
(一同笑)
morich:それはめちゃくちゃ怒ります(笑)。
貞松:しばらく寝かせるしかありません。しかし、上場企業は監査法人から低価法で評価を落とせと言われます。
morich:厳しいですよね。
貞松:当社はどうしていると思いますか? 自社工場があるため、溶かして材料に戻し、作り直すのです。
morich:そうなのですね。
貞松:直営工場で企画からすべて行っているのは、当社を含めて3社ほどしかありません。しかも100人規模の工場です。そこで思いついたのです。他社も困っているはずだと。
福谷:確かに。
貞松:他社の仕事も請け負うことにしました。昨年から始めましたが、けっこう注文が来ます。
台湾に9店舗展開しているのですが、台中の店舗に行った際、店長から「隣のブランドのこのような商品が欲しい」と言われました。実は当社のベトナム工場で作っているものだったのです。これは言えないなと思いました。
(一同笑)
morich:作っていたのですね。
貞松:「これは難しいから……」と断りました(笑)。その時の私は「工場の親父」になっています。当社の営業部隊からは嫌がられましたが、「同じ商品を違うチャネルで販売する」という戦略の一環として両方実施しています。
福谷:楽しみすぎますね。株価が爆上がりです。
貞松:みなさま困っていますので、これは本当にけっこう注文が来るのです。
morich:そうですよね。クリスマス限定なんて、もう世界中でやっています。おそらく売れ残りますよね。
貞松:特にクリスマス限定商品はそこでしか売れないため、他社も慎重になります。当社がやれることはたくさんあると思っています。社内からはブーイングを受けていますが(笑)。
家業を継ぐことへの葛藤 禅寺での気づき

morich:本日視聴している方の中には、両親や祖父母の代からの家業を仕方なく継ぐという方がいるかもしれません。その方々にメッセージをお願いします。
貞松:私は違う仕事を始めてしまったので正しいかどうかはわかりませんが、眼鏡屋を継いだ時に、2億6,000万円の借金を背負いました。さらに債務超過が5,000万円ありましたので、約3億円ですね。
当時は父が入院しており、家業を継ぐのが非常に嫌でした。とにかく一生懸命がんばりましたが、債務超過のため社員に十分な給与を支払えず、社員が休憩室で求人案内を読んでいる状態でした。
morich:そうだったのですね。
貞松:しかし、社員に辞められたらお店を開けられません。嫌になって酒ばかり飲み、肝臓を悪くしました。そのような状態で私は一度、会社を辞めています。
上場企業ですのであまり詳しくは言えませんが、若気の至りで喧嘩をしてしまい、辞めざるを得なくなりました。再び東京に出てミュージシャンを目指そうと思いました。10代の頃は長崎に帰る気なんてありませんでしたが、2度目の東京はすごく寂しかったです。
morich:そのような感覚だったのですね。
貞松:お世話になった新宿のライブハウスでアルバイトをしていました。マスターが私の顔を見て心配し、「三重県の鈴鹿にある禅寺で、滝に打たれて悟りを開く3泊4日のツアーがあるから行ってこい」と、チケットと新幹線の切符をくれました。
morich:それは良い方ですね!
貞松:行ってみると、参加者はお年寄りばかりでした。3泊4日で滝に打たれても、悟りなど開けません。
最終日に和尚が私のところに来て「お前は何をしに来たんだ?」と尋ねました。その時、なぜか私は初めて人前で涙を流しました。「違う夢があったのに、父が倒れて借金を背負い、辛くて辛くて仕方がない。社員からも感謝されずどんどん辞めていく」と話しました。
当時、社員の中で私が一番給与が安かったのです。社員に給与を出さないと辞めてしまいますが、私は実家ですからとりあえず飢えません。本当に40時間くらい続けて働いていましたよ。
morich:そうでしたか……。
貞松:私が会社を辞める前に事件がありました。簿記の資格を取り、経理を担当していたのですが、父の右腕だった方の使い込みに気づき、彼を解雇しました。すると彼を慕っていた社員たちも辞めてしまったのです。
私が採用した社員も辞めていきました。さらに、私を憎んでいると言うのです。「悪いことをしたのは彼なのに、なぜ私が憎まれなければならないのか」と、私はショックを受けました。
すると、「彼の奥さんが妊娠中で、間もなく出産だと知っていたのか? 一生憎んでやる」と言われました。そんなことすら私は知らなかったのです。
morich:社員のことをご存じなかったのですね。
貞松:悪いことをした人だったとしても、人を解雇するのにそんなことも知らなかったのです。本当に自分に嫌気が差して会社を辞めました。
和尚に話をしながら、「2億6,000万円の借金をして、社員のため、親父のため、会社のために一生懸命がんばって、最後は憎まれた。もう嫌だ。俺の人生なんなんだ」と泣き崩れました。
すると和尚から、雷が落ちるような大声で「甘えるなー!」と一喝されました。とても驚きました。私は甘えているとは思っていませんでした。目から鱗が落ちるとはあのことです。
morich:むしろ助け船を出してくれるのかと思いますよね。
貞松:「お前は親が喜んでくれたら、自分がうれしいからやっていたのだろう。社員が喜んでくれたら、自分がうれしいからやっていたのだろう。それを『親のため、社員のため』という顔をしていたら、嫌われて当然、憎まれて当然だ!」と言われました。
すごく素直に聞き入れることができました。「仕事は自分のためにやっているのだ。自分のために行うことが、結果として人のためになるのだ」と気づいた瞬間、辛くなくなりました。
今年、フェスタリアホールディングスは20周年になります。いろいろなブランドがある中で最後発なのですが、業界ランキングは8番目くらいです。尊敬する大先輩方に追いつけたのは「ビジュ ド ファミーユ」に出会ったからですが、仕事は自分のために行っていると思えば、いろいろなことがあっても腹が立ちません。
トップに立つ覚悟 「その仕事が好きだから続けている」

貞松:コロナ禍の時もそうです。「不要不急なものは店を閉めろ」と言われましたが、私は社員に「どうなるかわからないが、給料は出し続けるから自宅にいてくれ」と伝えました。言ってしまった後で「一体いくらの赤字が出るのだろう」と、経理や経営企画の社員が計算したところ「8億円出ます」と言われました(笑)。
本当にどうしようかと思いましたが、メインバンクのみずほ銀行などが劣後ローンを出して支えてくれました。普通、当社のような規模の会社に出してくれるものではありません。誰も逃げなかったため、メインバンクには非常に感謝しています。
私も人のせいにはしませんでした。やはり仕事は自分のために行っていると思えば、腹も立たないのです。
福谷:腹のくくり方、覚悟ですね。
morich:本当に出会うべき時に出会っていますね。禅寺に行けとチケットまで用意してくださる方がいたということも、すべて引き寄せていますね。
貞松:本当に運だけですよ。
morich:でも、運を味方につけていらっしゃいます。
福谷:言葉が出ないですね。すべてが整っているというか……人として、経営者としてあるべき姿を教えていただきました。
貞松:もちろん企業にはミッションがあります。当社であれば「ビジュ ド ファミーユ」の習慣を広げたいという想いです。私たちの力は小さいですが、世の中の役に立つのではないか、続けている意味があるのではないか、それがガビと出会った意味ですし、ここまでたどり着いた意味です。
しかし、トップに立つのであれば、自分が好きだから行っているという気持ちがなければ、結局は人のせいにしてしまいます。「自分はこんなにがんばっているのに、なぜこんなにかわいそうなんだ」と思ってしまいます。
morich:どんな境遇であっても「自分のため」ですね。
福谷:「この人がやっているから、ついていくのだ。この人がやっているから、意味があるんだ」というところもあると思います。本日から「先生」と呼ばせてください!
morich:本日は延長戦でお送りしました。私はもうお話を遮れなかったです。
貞松:何も考えずに話してしまってすみません。
福谷:とんでもないです!
morich:初めて涙も流してしまいました。おそらく、これからみなさまもジュエリーを見る時の気持ちが変わると思います。
貞松:人類の歴史で一番長く続いているものには意味があります。でも日本人はそれを知りません。そもそも3兆円だったジュエリーの市場が1兆円くらいまでになったのも、必要とされてきた意味を業界がよくわかっていないのが理由だろうし、わかっていないとなくなると思います。
それを伝えることが私たちの仕事だと思っています。
福谷:私たちも発信していきたいと思います。
morich:フェスタリアさんが繁栄するように、最後に証券コードを聞いておきましょうか?
貞松:2736です。
morich:2736ですね。みなさまで応援しましょう。
貞松:4月のIRも楽しみにしていてください。
福谷:本日も素敵すぎるお話でした。
morich:少し延長してしまいましたが、みなさまお付き合いいただきありがとうございます。「morichの部屋」がまた少し、昇華した感じですよね。貞松社長、本日はまだ会場にいていただけますか?
貞松:はい、います!
morich:ありがとうございます。もう少しお話をうかがいたいです。
福谷:「morichの部屋」のYouTubeはここで終わりますが、会場に来ていただければ、もっと深い話をお聞きいただけます。
貞松:言えない話もね。
(一同笑)
福谷:そうですね(笑)。聞けるかと思います。
morich:本日はありがとうございました。
貞松:ありがとうございました。
