コロナ禍ではなく「コロナ対策禍」なのは明白だ
恩恵と聞いて、コロナの危機や犠牲者を軽んじていると思う人は、逆にインフルエンザの危機や犠牲者を軽んじていることになる。
ヒトはどんな形ででも、いつか死ぬ。コロナによる死亡も、インフルエンザによる死亡も、経済が困窮しての自殺による死亡も、どれもが死で、政策で防げるものならどれも防がねばならない。
1つの死因だけを重要視することは、他の死因を軽視することにも繋がるのだ。
投資運用でもそうだが、ヒトは損失の可能性を恐れる余り、利益の機会を逃したり、かえって損失を大きくしたりする。コロナ禍も同様で、リスクの種類や大きさを冷静に把握し、ある程度の損失を覚悟することで、損失を最小限に抑えることもできるのだ。
上記の記事で気になる点の「受診や検診を控える人が多く、来年以降に死亡数がさらに増える可能性がある」というのは、ロックダウンだ、営業自粛だなどと、危機を煽りすぎるために、通常通りに受診していれば救えた命があった可能性を示唆している。
これはコロナ禍というより、対策禍ではないか?
集団免疫を獲得するしかない
私が2020年5月7日に配信したメルマガから、要点だけを引用する。
「世界の大半の政府はヒトの交流、経済活動、生命活動を封じることで、ウイルスの鎮静化を図っているが、『一般人の生活から軍隊までが機能不全となる。一方で、ウイルスを無力化できるという保証はない。また、どれだけの期間を要するかも分からない』のだ。」
「封じ込めによる全世界的な収束は実現困難で、集団免疫を獲得する以外に収束させる方法はない。<中略>
集団免疫を獲得するには2つの方法が存在する。ワクチンと自然感染である。ワクチンは比較的安全かつ迅速に免疫を付与することが可能で、方法としては最適だろう。ただし、順調に進捗したとしても開発には12カ月以上必要とされ、広く投与可能となるにはさらに時間がかかる。<中略>
また、ワクチン開発には安全性の問題やウイルスの変異による効果減弱化の懸念がある。<中略>
新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)は、1年から5年程度の部分的な収束を経た上で、ワクチンもしくは自然感染による集団免疫が成立した時点で収束する、というのが合理的な道筋となる。<中略>
結論としては、いずれのシナリオにしても少なくとも1年から2年、長期化すると5年程度もしくはそれ以上の期間にわたり、移動制限などの措置を取らざるを得ない。もはや新型コロナウイルス感染症が拡大する前の生活はそう簡単には取り戻せず、今後の企業活動についても大きな戦略の転換が求められることになるだろう。」
「封鎖は経済活動を機能不全にすることなので、この悪影響は確実だが、リスクのある自然感染を防ぐ効果は証明されていない」
「ニューヨークでコロナウイルスに感染して新たに入院することになった人々の大半は退職者か失業者で、公共交通を避けていることが、新たな調査で判明した。厳しいソーシャル・ディスタンシング(人間同士が2メーター以内には近付かない)を6週間続けても重症化が避けられないとの最初の見解となった。入院患者の37%が退職者で、46%が失業者だった。ほぼ4分の3が51歳以上だった。わずか17%だけが勤労者だった。また、日常生活で公共交通を利用しているのは4%に過ぎなかった。」