複雑なシリアの状況
このように、シリア解放機構(HTS)」の背後にはアメリカがおり、この組織はアサド政権の打倒を目標にするアメリカのいわば道具である可能性が高い。しかし、それにしても、ロシアとイランの後ろ盾でシリアの大半の領土を掌握していたアサド政権が、なぜこんなにもあっけなく崩壊したのだろうか?疑問が多い。中東の専門家の間でも見解が大きき分かれている。アサド政権を崩壊させる合意がロシア、トルコ、イランであったという見方や、「HTS」は油断していたアサド政権を機会としてうまく利用したのであり、ロシア、トルコ、イランは事前に状況を知らなかったという見方もある。
いずれにせよ、今回のアサド政権のあっけない崩壊の理由を探るためには、現在のシリアがどのような状況なのか、知る必要がある。
周知のようにシリアは、2011年に内戦が始まるまでは、中東では比較的に豊かで政治的にも安定した国であった。たしかにアサド政権の独裁は抑圧的ではあったものの、近隣諸国と比べると経済成長率は高く、生活水準も高かった。しかし、2011年に始まったシリア内戦で、「IS」や「アルヌスラ戦線」のようなイスラム原理主義勢力を含む複数の勢力が侵入し、領土は分裂した。
イスラム原理主義勢力の拡大を恐れたロシアが2015年9月に介入し、アサド政権は国土の多くを奪還したものの、現在でも以下のような異なった勢力に国土が占拠されている状態だ。
・北東部の地域
トルコに敵対するクルド人が占拠している。この地域はシリアの石油を産出する資源地帯である。米軍は資源の保護を名目にクルド人を支援しているものの、同地域が産出する石油を盗んでいる。
・北部の一部
トルコが支援する反政府組織の支配地域。トルコはクルド人勢力が自国まで拡大しないように、ここを拠点に牽制している。また、同国内に300万人いるシリア難民を帰還地域の獲得も目指している。
・北西部から南西部にかけての大部分の領土
ロシアとイランに支援された、アサド政権のシリア政府が支配する地域。
・中部の一部
「IS」の残存勢力がいまだに活動している地域。
・南部と北部の一部
北部は「シャム解放機構」、南部は世俗的な「新シリア軍」が支配する地域。
・イスラエル
1967年の第3次中東戦争で奪取した南部の「ゴラン高原」以外に、現在イスラエルが支配するシリア国内の領土はない。しかし、シリアはイランがレバノン南部に展開する反イスラエルの武装組織、「ヒズボラ」に兵器を輸送する補給ルートになっている。これの遮断を狙っている。
・アスタナ合意
ロシア、イラン、トルコなどシリアの内戦に関与している国々の間の合意。軍事的解決ではシリアの紛争は解決できないことを確認。また、あらゆる形態のテロと闘うために引き続き協力していく決意を表明し、シリアの主権と領土保全の重要性や、シリア政府が国全体に対して主権を持つことを確認した。
実際に起こったこと
シリア情勢はさまざまな勢力が絡んで非常に複雑だが、詳しく調べるとどうしてこれほどまで簡単にアサド政権が崩壊したのか、そのプロセスが見えてくる。
まず前提だが、アサド政権は欧米の厳しい経済制裁下にあると同時に、北東部の油田地帯をクルド人勢力と米軍に占領され、さらに何年も続く内戦で国内経済は疲弊していた。これとともに、軍も経済的には厳しい状態で、軍人の給与は兵士で1月5ドル、将校で7ドルという悲惨な状態だった。
また、シリア政府軍の汚職と腐敗は凄まじかった。軍幹部が軍の資産を独占し、軍内部の厭戦気分の蔓延から、指揮命令系統も機能しなくなっていた。ロシアは、こうしたシリア政府軍の状況を懸念して軍を根本的に立て直すようにアサド大統領にアドバイスをしていたが、次第にロシア、及びイランからの独立を志向していたアサド政権は、軍の抜本的な改革には消極的だった。
一方、アサド大統領が軍の動きを把握していなかったことも政権の崩壊を早めた。確かにシリアは強権的なアサド政権が支配する独裁体制だが、国の実験を握り、政府の運営を支配していたのはアサド自身ではなく、軍や治安部隊、そして警察などの国内の治安機構であった。アサド政権の抑圧的で残虐な性格は、こうした機関の統治から出たものだった。長年の内戦に疲弊している国民の目から見ると、軍の支配は抑圧的で、アサド政権の人気はなかった。
こうした状況で6カ月前、ある動きがあった。
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