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富裕層が「水」独占へ。金融商品化と水道民営化の最凶タッグで庶民が渇く=田中優

ダム建設に群がる「ダムマフィア」と「自治体の長」

ところが思い起こせばわかるように、各地では水不足を心配してたくさんの水源を開発した。要は今や不要になっているダムを各地に建設したのだ。

ダム建設を名目にすれば自治体はそのための負債を地方債として起債でき、あたかも景気を回復させたかのように見せることができる。そのためにダムばかり優先され、水道施設の整備はなおざりにされていたのだ。

その流れは勢いがついて止まらなくなったように、今なお水の消費量は伸びてもいないのに建設され続けている。

これは日本だけのことではなく、全世界的に進められた。この動きは原発を無理に進めたがる人たちを「原子力ムラ」と呼ぶように、世界的には「ダムマフィア」と呼んでいる。建設することの利権が大きいために、飴に群がるアリのように集まって、しゃぶり尽くそうとするのだ。

この無策の結果、自治体は必要な施設が作れず、水道の利用料金だけでは賄うことができないところまで来てしまった。

いずれにしても水道料金の値上げが不可避ならば、「民営化のせいで」と言われた方がいい。本当の責任者であるダムマフィアと自治体の長の責任が問われにくくなるからだ。

そして、責任転嫁のための民営化が進んでいる。

民営化よりも「共セクター」を作って運営すべき

本来ならば水のような必要不可欠で生活に直結するものは、公共が責任をもって供給した方が良い。

ところが、ここに人々を「民は由らしむべし、知らしむべからず」とばかりに「人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」としてきた日本には、もう1つの重要なセクターが欠けている。

民営化と呼ばれるときの「民」は私企業ばかりを指していて、そこに向かうには「公セクター」たる国や自治体になっている。しかし本来ならここでもう1つ、「共セクター」があるべきだった。

「公共」というのは「公」だけを指すものではない。もう1つ、自分たちの自主・自立した「共セクター」も指すのだ。これこそ重要な第3のセクターであり、人々が自律的に運営すべきものだ。

諸外国にはこの「共セクター」のための法律があり、そこで多くの人たちが雇用されている。しかし「雇用」と言っても誰かに命令されて働くのではなく、自らが出資者となって自分たちで運営をマネジメントしていくのだ。

昨年末、ついに「協同労働組合法」が成立した。2年後からの施行になるが、日本でもついに非営利目的の「共セクター」が誕生する。「水」のように公共性が高く、生命に関わって「営利企業」に任すのが危険な事業には、うってつけの仕組みではないか。

社会を「私益」「公益」「共益」の3つに分けて考えるとき、地域の人たち自身が創るこの仕組みに任せるのが妥当ではないか。

ところがその3つ目の仕組みがない中で、民営化として私企業に委ねるしかないのは危険だろう。

Next: 貧乏人は水を飲むな?アメリカで「水」の先物市場がスタート

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