米国では昨年から、金・石油などの商品とともに水もウォール街で取引されるようになった。「水」自体が先物取引されることになった。これが何をもたらすだろうか。私は「水の金融商品化」には賛同できない。水資源を子孫に残すためには別の枠組みが必要だ。(『田中優の‘持続する志’(有料・活動支援版)』)
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プロフィール:田中優(たなか ゆう)
「未来バンク事業組合」理事長、「日本国際ボランティアセンター」理事、「ap bank」監事、「一般社団 天然住宅」共同代表。横浜市立大学、恵泉女学園大学の非常勤講師。著書(共著含む)に『未来のあたりまえシリーズ1ー電気は自給があたりまえ オフグリッドで原発のいらない暮らしへー』(合同出版)『放射能下の日本で暮らすには?』(筑摩書房)『子どもたちの未来を創るエネルギー』『地宝論』(子どもの未来社)ほか多数。
「水の商品化」が進んでいる
民営化と海外勢の進出によって、水の商品化はさらに進展したようだ。
しかしインターネットを調べてみると、まるで邪推するのが悪いような論調の話が多く目につく。まるでそんなふうに考えること自体が間違いの本質のように書かれている。
本当にそうなのかどうか。調べるために水価格を調べてみると、確かに上がっている。しかしそれさえもこれまで設備の更新を怠っていたからで、民営化のせいではないという。
むしろ民営化されていれば、こんなにも設備の更新を怠らなかっただろうという論調だ。水が民営化されていなかったために、安く水を届けるために設備が更新されなかったのだという。
それも確かにあるだろう。水道料金を値上げすれば、その自治体の運営をしている自治体の長の評価は下がるかもしれない。そのせいで次の首長選挙に影響が出るかもしれない。それを恐れてカネのかかる設備の更新を延ばし延ばしにしている可能性はあるだろう。
そのせいで全国各地の水道設備が、取り返しがつかないほど老朽化してしまったのかもしれない。
民営化と節水は相容れない
水道料金の値上げは不可避の状況にあるところも多いだろう。
それを「合理的判断のもとに経営していくために民営化が必要なのだ」という主張を唱える人も多い。しかし、今の自然環境を保全し続けるには、「節水していくこと」が必要なことは論を俟たないことだろう。
このことは市民からすると当然だが、経営的には逆になる。
この40年余り、節水が効きすぎて水余りが起きてしまっているからだ。産業用を除けば水の大きな消費は家庭等のトイレの水洗化が最も大きかった。しかしそのトイレの水洗化も地方を除けばほぼ終了し、地方都市を含めこれから水洗化を進めなければならない地域はなくなってきた。
それだけではない。家庭の水洗トイレなどの設備の節水化も進み、1回に流す水の量はかつての半分以下に減ってきている。水の洗浄力から考えると、流れの速さがあれば水量は必要なく洗浄できるからだ。そして風呂の残り湯で洗濯すれば、残り湯の温度の高さのおかげで効率が良くなる。
家庭内の水道使用量は、4つがほぼすべてで「風呂・トイレ・台所・洗濯」がほぼ均等に消費している。そのため、風呂の残り湯を活用すれば4分の1は節水できるのだ。
ときどき聞く「節水コマ」は、水の洗浄力は勢いの強さに比例することを利用して、水の消費量を減らしながら当たる水の勢いを高くしているものだ。
そのように人々が家庭での水消費を節約していった結果、各地の家庭の水消費量はかなり減ったのだ。東京都の場合では、1970年頃の水の消費量よりも現在の方が少ないほどなのだ。