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国葬で”外交の岸田”の晴れ舞台を演出か。”検討使”が見せた非業の死すらチャンスに変える機転力=山崎和邦

岸田首相は政権成立後、1年近くたっても何もせず“検討使”と揶揄さたが、安倍元首相の国葬だけは即決した。その裏には、自分が脚光を浴びる舞台を用意するという狡猾な狙いがある。(「週報『投機の流儀』」山崎和邦)

※本記事は有料メルマガ『山崎和邦 週報『投機の流儀』』2022年8月14日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に購読をどうぞ。

政権成立後、何もしない岸田首相は“検討使”

岸田政権成立後に1年近くを経て、何もしないということが判ってきた。選挙が済むまでは安全運転第一で行こうということは理解できるが、選挙が済んだら直ちに動き出すかと思うとそうでもない。ほとんど全ての問題に対しては「前向きに検討する」を繰り返すため、遣唐使をもじって「検討使」と揶揄する向きも出てくるだろう。そうすれば支持率は下がる。

ただ一つ、彼が素早い実行力を発揮したのは国葬だけだ。これは閣議で決定すれば済むことであり、根拠法を必要としない。最大派閥の「安倍一族」(清和会)のご機嫌をとりながら、時間をかけて清話会勢力を減らしていかなければ上手く行かない。

国葬はそういう意味もあるだろうが、まずは喪に服している間は人事のことなどは静かにしているものだということで押さえ付けて、素早く組閣したというのが本音であろう。そうなれば、組閣後は直ちに動かねばならなくなる。そうでないと「検討使」と揶揄されて支持率は下がる。

“外交の岸田”の片鱗を見せつける国葬

就任から10ヶ月目で初めて岸田首相を「国葬」で示し、ピンチをチャンスに変えたと言える。9月27日の国葬は各国首脳要人が参列する席で、岸田首相は「葬儀委員長は自分である」と改めて海外に印象付け、弔問外交の主役となる。

幼少の頃からNYの公立小学校を出た岸田首相は英語が得意で、最も難しい大臣と言われている外務大臣を4年半、つつがなく務め上げた。この「外交の岸田」の片鱗で「国葬」を気合で決めてしまった。その突破力を見せることになった。

安倍首相の非業の死の前、6月末のNATO首脳会議で岸田首相は国際舞台にデビューした。この話しは国内であまり際立った話題にならなかったが、NATOの首脳会議では、開会の挨拶に議長が並み居る各国首脳を前に、最初の発言者として岸田首相を指名した。首相外交の花形になった。

日本の安全保障におけるNATO加盟国との緊密な関係構築の重要性を力説したのは、本当のところ安倍元首相だったが、当時、一外務大臣に過ぎなかった岸田には、その舞台は恵まれなかった。

今回、NATO首脳会議の議長を務めた事務総長はその点を斟酌したのか否か知らないが、最初の発言者として岸田首相を指名した。安倍元首相が世界に先駆けて「自由で開かれたインド太平洋」の構想を発表したのは6年前である。岸田首相は安倍元首相が敷いた路線を継承したことになる。

Next: 非業の死すらチャンスに変えた岸田首相のしたたかさ

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