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「宗教が差別を生む」元オウム上祐史浩が語る“宗教二世”問題の根深さ。宗教が力を失った日本はどこへ向かうのか?【後編】=鈴木傾城

上祐氏にとっての「宗教」とは

鈴木:上祐さん個人にとって宗教とはどういう存在だったのですか?

上祐:オウム(現アレフ)は15年前に脱会しました。オウム時代は、麻原を神の化身というか、神に通じるものとして信じていたのですが、1995年に一連のオウム事件が発覚してしばらくして、どうも何か教祖が説いていた通りには世界がならない。教祖の予言したハルマゲドンは起こらない。その予言を前提として、教祖の元で日本社会と戦うことになったが、それがああいう悲惨な形に終わってしまった。

そして、考えてみれば他の宗教もそうで、その世界観・未来観が行き詰まっているように自分には見えます。例えば、麻原・オウムも取り入れたイエス再臨、最終戦争、ハルマゲドンなどのキリスト教の善悪の戦いの世界観に関しても、2000年待ってもイエスは再臨していません。

冷静に客観的に見れば、宗教の世界観が崩れちゃっているわけですよね、根本的に。そして、宗教は本質的に行き詰っており、日本に限らず、世界中で、特定の宗教には属さない無宗教の人が増えて、宗教教団は衰退する傾向にあります。ただし、陰謀論グループのように、カルト宗教教団と一面で似た世界観を持つ動きは、増大しているように思います。

鈴木:上祐さんは宗教から出てきた人なので、宗教を信じていると思ったんですが、今の口調を聞いていると宗教を信じていないような感じに聞こえますね。

上祐:はい、特にオウム真理教やQアノンの陰謀説の背景である聖書系の善悪の戦いの世界観・聖戦という概念は、「それを信じれば良い世界ができる」と考えるには、実際にあまりにも矛盾が大きすぎると思います。

オウムに限らず、いろいろな宗教とその教祖が、自分たちが一番であり、自分たちこそが世界を救う、世界を統一すると主張するが、それが文字通り実現した試しは、世界最大の宗教であるキリスト教勢力にさえありません。その逆に伝統宗派もカトリックとプロテスタントなどのように分裂を繰り返し、それぞれが自分たちこそ正しいと言う。ましてや新興のカルト型宗教は、その教祖の私的な妄想と言わざるを得ません。

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鈴木:教祖の私的な妄想であったと。

上祐:この宗教の矛盾を説明するためには、どうやら宗教というのは、神様が与えた絶対的真理ではなく、先ほど述べたように、飢餓の危機などにあって、戦争をなしには生き残れぬ状況に置かれた原始の人たちが、自分たちの無意識が作った心理現象ではなかったのかと考える方が合理的に説明できると私は思います。

そして、戦争が始まると共に、こうした宗教の教祖とその信者は、人類社会全体で無数に現れたのだろうと思います。大きな集団となるもの、小さな集団に留まり消滅したもの、宗教と言えるほどの集団には至らなかったものなどが無数に現れました。

そうした心理現象を体験して教祖や信者になる遺伝子は人類の中で脈々と先祖から子孫に継承されてきた。だから現代に至っても教祖があちこちに現れ、その私的な妄想に基づく教義で新たな宗教があらわれるということではないかと。

昔は、宗教は、社会を作る時には戦争が必要で、すなわち聖戦が必要で、神武天皇も天照大神の詔を受けて征服戦争で日本国家(大和政権)を作った(神武東征)。欧州のキリスト教徒も、神の与えた使命として、インディアンを排除してきたアメリカに植民地を作り、アメリカ合衆国を作った。

ところが、現代においては、既存の社会については、大半の人はその革命なんかは求めてないのに、昔と同じように「啓示」体験をする遺伝子を受け継いだ人間に、「私こそ新しい世界の中心となるものだ、あらたな天皇だ」と思い込むような心理現象が引き続いて起こっている。それが例えば、文鮮明とか、麻原彰晃だったのではないでしょうか。

教祖たちは大真面目に自分の教義を信じている?

鈴木:啓示体験する遺伝子を受け継いだ者が、私的な妄想によって教義を生み出していく。それが日本でも広がっていったと。

上祐:なお、この点に関して一般に誤解があるようですが、彼ら教祖自身は、自分の教義を本当に信じているということです。有田芳生氏と対談した時も確認しましたが、カルトの専門家は、教祖は信者を騙しているのではなく、自分自身が一番自分の啓示・教義を妄信していると言われます。

その意味では、彼らは、社会不適応型の人格障害と言うことができるかもしれません。なお、彼らの受ける啓示自体が、統合失調症だと言うこともできますが、そもそも精神病か否かの判断基準自体が曖昧で、突き止めれば、それで社会生活が送れるか否かになってしまうと思います。だから、実際に信者が集まり、啓示を受ける人が自分に合った社会を作ってしまうので、精神病と言えるかどうかは、その定義からして難しい問題になります。

しかし、話を元に戻すと、まず教祖が強烈に自分自身を妄信し、それに信者が言わば感染していく。巻き込まれていく。そして、その教祖に共鳴・感染するような遺伝子を持った人がある程度存在して、その人たちが信者集団になる。

そして、日本だったら、この心理的な現象が、弥生時代以来の3000年間に継承されてきた、そうした心理現象を体験する遺伝子があると思うのです。ああいう体験をして、ああいうふうに共鳴し、集団になって、その外側には攻撃的だけど、内側においては助け合い団結するような集団が形成される遺伝子が継承されてきたのではないかと。

現代の問題は、そうした心理現象が戦争や共同体の形成のために昔は必要だったが、今はすでに既存の社会があるのに、その中に、勝手に新しい宗教による異なる共同体・異なる社会を作られては、当然、大きな問題になるということです。そうしたカルト宗教は、既存社会と矛盾するという意味で正に「反社会的」です。

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