「スーパーカブ」で世界を開拓した
ホンダは1946年に本田宗一郎が静岡県浜松市で創業しました。
1949年に二輪車の製造販売を始めますが、当時の日本は朝鮮特需による経済成長が起こる時代でした。そんな時代背景の中、本田宗一郎の「手の内に入るものを作れ」という言葉の元に小型のバイクの生産に取り掛かります。
それが「そば屋さんの出前持ちが片手で運転できるバイク」「スカートをはいたお客様にも乗ってもらえる二輪車」というコンセプトのスーパーカブC100です。
出典:本田技研工業ホームページ
1958年に販売が始まり、初年度の生産台数は約2万4,000台でしたが、翌1959年は約16万7,000台に拡大。そして1962年には約79万台となり、大ヒットを記録しています。1959年にはアメリカに進出し、1970年ごろのバイクの市場シェアは1社単独で60%を超えるシェアを獲得しました。当時のアメリカのバイク市場ではハーレーダビッドソンのような大型のバイクが主流製品でしたが、ここでも学生や女性が乗れるスーパーカブが「ニッチな小型バイク市場」を開拓していきました。ニッチトップとなった結果、増産効果と規模の経済でコストを下げることで、二輪市場における競争優位性を確立することになりました。その後もインドネシアやベトナムなどのアジア圏へと進出し同様に大ヒットを記録。まさしく、二輪市場で覇権をとっていきました。
そして同時期に四輪車の生産も初めており、1980年には初の海外(アメリカ)現地法人による四輪車生産が始まっています。創業以来の「需要のあるところで生産する」という理念のもとさまざまな地域に生産拠点を展開していきました。その後、国内の公害問題への対応やリーマンショックの不況など厳しい局面もありましたが、現在、二輪車は主に東南アジアを中心に、四輪事業は中国などのアジアと北米を中心に売上を稼いでいます。これは自動車黎明期から積極的に海外展開できたことが大きな成功要因と言えるでしょう。
出典:SPEEDAより作成
では、ホンダの今後の戦略はどうでしょうか?
電動化へ全力投球
ホンダは2040年までに新車販売の全てを電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)にする目標を掲げています。
出典:HondaStories
それはカーボンニュートラルが社会課題となり、ホンダも環境負荷ゼロ社会の実現のために四輪・二輪電動化に励む、としているのです。しかしホンダの目標と現状には大きな乖離があります。以下は電動二輪事業の販売イメージです。23年度は二輪車の販売の大半はICE(ガソリン車)の販売が大半を占めており、EVの販売比率は5%以下です。
出典:HONDA 電動二輪事業説明会資料
この差を埋めるための戦略ですが、EVの原動力であり、最も重要な部品であるバッテリーは「ホンダと異なる強みを持つ他企業との協業」を促進しています。
出典:統合報告書
EVの拡大が予想され、自社にとっても重要なマーケットである北米を皮切りに、原材料の調達から生産、さらにはバッテリーのリサイクルまでの生産体制を整えている最中です。直近では日産自動車との戦略的提携を検討するなど、競合他社との協力体制を進める動きもあります。充電設備についても、すでに北米で実装されている家庭充電(HONDA SMART CHRGE)などの普及を目指しています。目標と現状には差がありますが、少しづつその実現に向けた体制を整えているのです。
では、リスクはないのでしょうか?