「CFR」はウォールストリートの大手金融産業を主要な基盤にした、アメリカでもっとも力のあるシンクタンクのことである。
「CFR」の起源は第一次世界大戦の直後まで溯る。1918年、ウィルソン大統領は第一次世界大戦後の国際秩序を検討するため、外交ブレーンだったエドワード・ハウス大佐に国務省とは別個に招集した知識人グループの編成を求めた。このグループは「大調査(Inquiry)」と呼ばれた。
一方、ニューヨークには金融界の実業家や国際弁護士らが主宰していた資金力の豊富な知的サロン、「外交問題評議会(CFR)」があった。「大調査」グループはここに合流し、「CFR」の中核組織ができた。
なぜニューヨークの金融界が「CFR」の結成に関与したのか疑問に思うかもしれないが、その理由ははっきりしている。「CFR」はすでに第一次世界大戦後から、将来イギリスに代ってアメリカが世界の覇権国となると予想しており、そうなったとき、ウォールストリートの金融界を中心にしたアメリカ資本が、その利益を最大化できるアメリカ中心の世界秩序を編成するためである。その意味では「CFR」は、アメリカの超富裕層の利害を世界レベルで実現するために結成されたいわば業界団体である。戦後はこれに軍産複合体が加わる。
「CFR」が追求しているのは、グローバリストの世界戦略である。主権国家を乗り越えた世界政府統一中心の「ニューワールドオーダー(NWO)」を形成し、アメリカの超富裕層が世界中で規制なしに自由に投資できる、資本主義の世界的なシステムの構築を目指す。
「CFR」の政治的な影響力は絶大である。歴代政権の外交政策は国務省の部局、「政策企画本部」によって立案される。この部局の部長は「CFR」のメンバーであることが多い。「政策企画本部」は「CFR」からの指示と要望にしたがって、アメリカの外交政策を立案するという関係にある。
このような「CFR」は、現在のバイデン政権の外交政策を全面的に担っていると見て間違いない。一方、前トランプ政権では「CFR」のメンバーは閣僚ポストからすべて排除されていた。「CFR」の影響下にある「政策企画本部」の部長さえも、トランプ政権下では「CFR」のメンバーではなかった。
このような状況であったたため、ナショナリストのトランプ政権とグローバリストの「CFR」は鋭い対立関係にあった。「CFR」が発行する外交政策誌の「フォーリン・アフェアーズ」には、トランプの外交政策を批判する記事が非常に多かった。評価する記事はほとんどないといってもよい状況だった。
ところが、この数カ月、トランプを次期大統領として認め、トランプを積極的に評価する記事が確実に増えているのだ。
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