「孤独死」を恐れる必要などない
テレビや週刊誌に、時々「孤独死」という言葉が出てきますが、これもやはり孤独をネガティブに捉えている人々が多いということです。しかし、一人で死ぬことがそんなに悪いこと、寂しいこと、みじめなことなのでしょうか。
そこで私自身が死の床についたときの状況を想像してみました。たとえば心拍が弱まり危篤状態にあって、家族や親しい人が駆けつけてくれ、見守ってくれている。その中で静かに目を閉じ、息を引き取る。確かに、なんとなく自分を心配してくれる人がいるんだという安心感で、温かい気持ちになりそうな気がします。
しかし一方で、こういう感情も抱くのではないか、とも想像します。周りの皆は元気でこれからも生きていくというのに、この輪の中で自分だけが死んでいくという寂しさ。周りから置いていかれるという不安感。
なんで自分だけが先に死ぬのか。もっと一緒にいたい。もっと皆と楽しいことをしていたい。もっと生きたい…。
あるいは、死んでいく自分の姿を見られる方が、何か脆弱な存在のようで、ひどくみじめな気分になるかもしれないな、とも思います。一人死んでいく弱い自分をこれ以上見ないでくれ、というような…。
飼いネコが死の間際には家を出て、人目につかないところでひっそり息を引き取る理由もわかるような気もします。
刷り込まれた価値観を疑え
先ほど、「一人で死んでいく弱い自分」と書きましたが、周りに人がいてもいなくても、死ぬのはやはり自分一人であり、そういう意味では孤独とも言えます。
むしろ人の中にいるからこそ、よけいに自分だけが死んでいくんだと孤独感を強く感じるかもしれません。
もちろん、その時の年齢や死のシチュエーションによっても違うと思います。交通事故ならそんなことを感じる暇さえないし、重い病気の場合は心が弱って周囲のことを見る余裕はないかもしれない。
そもそも、死んだら何の感覚も感情も記憶もなくなります。死んでしまったら終わりで、寂しいとかみじめとか、何も感じない。死ぬ直前に何かを思ったとしても、次の瞬間にはその思いも消滅します。
だから周りの人が勝手に「かわいそう」「みじめ」などと決めつけるのもおかしな話で
す。本人は満足して死んだのかもしれないし。本人の心情を知ることができない外野があれこれ講釈するのはナンセンス。
「孤独死はみじめ」「近しい人に見守られて死んでいくのが理想」というのも、何か刷り込まれた価値観のように感じます。逆にそれくらい、孤独を恐怖と感じている人が多いということなのでしょう。