「孤独はイヤ」という思考停止から抜け出す
ひとりはそんなに悪いことなのか?
「便所飯」や「ランチタイム症候群」という言葉が話題になるほど、多くの人はひとりで食事するのを恐れます。いえ、実際には一人で食事をしているところを見られることを恐れているのです。
それはなぜかというと、自分の中に「孤独なのはみじめ、ひとりは寂しい」という思い込みがあるため、「自分は寂しい人間なんだと思われているんじゃないか」という妄想に苦しんでいるわけです。
孤独というのはただの状態を指す言葉です。孤独をみじめに感じるのは、孤独そのものがみじめなわけではなく、「孤独はみじめだ」と思い込んでいる自分の固定観念が原因です。この固定概念は、社会で生きるうちになんとなく刷り込まれてきた、無意識の価値観です。
「人間は一人では生きていけない」などとみんなが言うから、孤独な自分を責め、人間関係に悩み、追い詰められる。そんな道徳的な主張に、多くの人は「そうだよね」と同調し、それ以上考えることをやめてしまいます。しかし、そのような抽象的な言葉こそ、いったん立ち止まって「それ、ほんとう?」と深く考えてみる必要があります。
特に昔の人が言った言葉の中には、現代では通用しなくなっていることも多いからです。にもかかわらず「孤独はイヤ」「寂しいからイヤ」というのは、思考停止と同義です。
たとえば、たしかに小さな赤ちゃんは一人では生きられません。しかし、大人になればどうでしょうか。一人で起きられるし、一人で着替えもできる。一人でお風呂も入れるし、食事もできるでしょう。
昔は不作の年は近所で食料を融通しあう必要がありましたが、今ではスーパーやコンビニに行けば簡単に手に入るので、暮らしに困ることもありません。
仕事は一人ではできませんが、求められる成果を出せば問題ないはずで、特に濃厚な付き合いが求められているわけではありません。
それに、むやみに他人を攻撃しなければ人間関係が険悪になることもなく、単に誘われないとか、会話の輪に入れないだけ。仮にそうであっても、それが何かの障害になるわけでもない。
つまり実際には一人でも生きていけるわけで、孤独を恐れる必要はないことがわかります。