「機械に取って代わられる職業」などの記事が話題になりますが、その根底にある「機械にできることは機械にさせよう」という考えには、決定的な誤りがあります。(『資産1億円への道』山田健彦)
「機械にできることは機械にさせよう」という発想に未来はない
人工知能(AI)への「危機感」
人工知能(AI)がプロの将棋棋士や囲碁棋士に勝った!などという出来事がお茶の間の話題をさらい、「将来、機械に取って代わられる職業一覧」というセンセーショナルな記事も経済雑誌などで特集されています。
米国では、この「人の仕事がロボットに取って代わられる」ということに対する危機感を抱く人が特に社会のリーダー層に多く、「AIの導入に対して、新たに特別な税金を課して人の雇用を守るべき」という構想が真剣に議論されているそうです。
なるほど、経営の側の理論からすれば「人の仕事が機械に置き換わるなら、機械は休まずに24時間働いてくれて、生産性向上が劇的に図れる」という考えもあるでしょうが、それが行き着くところまで行くと、機械に駆逐された失業者が増えます。
結果として、企業の製品・サービスを購入してくれる人は減るので、企業も減収になり、自ずとある程度のところでバランスが取れてくるのでは、と思っています。
「人が嫌がる仕事を機械にさせる」こそが正解
ところで、「将来、機械に取って代わられる職業一覧」の論調に代表される「機械にできることは、機械にさせよう」という議論は、職業選択権を機械の側に委ねています。
これは決定的な誤りです。仮にそれが正しければ、新幹線や音速に近いジェット旅客機が飛ぶ現在、誰も100メートルを9秒台で走るオリンピック選手に感動など覚えないはずです。
正しい選択は、人の嫌がる仕事を機械にさせることでしょう。
例えば介護分野では、入浴や排泄の世話など、介護をされる側にとってもする側にとっても嫌なことを機械にやらせることができるように開発資金を投じるべきです。そこは政治がリーダーシップを取り、ガイドラインを作るべきだと思います。
将棋や囲碁でプロを打ち負かすAIを作った会社の意図は、世間の注目を集めるための一種の広告宣伝だと思います。市場規模として将棋や囲碁はそれ程大きなものでもないので、ビジネスとして大々的に売り出すほどの価値はありません。
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