孤独を避けようとするその努力が、あなたの心を消耗させている
孤独を恐れる人は、家に帰ればすぐにテレビをつける、スマホを取り出しSNSにふける、誰かに電話をかけて長電話するといった具合に、つねに誰かと一緒、誰かとつながっていることを求めようとします。
ひとりポツンと部屋にいるとか、ランチタイムや休日を一人で過ごすとか、ひとりの時間がひどく落ち着かない気分になります。
そういう人は、「類は友を呼ぶ」ではないけれど、同じように孤独に耐えられない人が集まる傾向があります。
一人でいることを避けるために集まったグループは、仲間がみな同じように孤独であるからこそ安心しているわけで、誰かの別行動に敏感に反応しては同調圧力をかける傾向があります。つまりお互いを常に監視しあう関係になりやすいと言えます。
たとえば一生独身を誓い合ったアラサー女子仲良しグループも、そのうちの誰かが結婚すると「裏切者」呼ばわりするようなものです。
しかし、そもそも人とのつながりは、人生の質を高める過程で感じる感覚であって、自分は孤独ではないことを証明することではありません。
孤独でないことを証明しようとする行為は、相手を利用しているということです。自分が確認して安心したいがために、相手の存在を利用しているのです。
一方、孤独を楽しめる人も、やはり同じような人と親しくなります。しかし彼らは、寂しさを紛らわすためという発想はありませんから、同調圧力も監視もなく、自然なつきあいです。
それに、ひとりの時間を楽しめるということは、自分の領域を尊重しているということでもあります。それはつまり、他人の領域を理解し尊重することにつながり、ずけずけと相手に踏み込んだり自分の考えを押し付けたりはしません。
自分は自分、他人は他人というほどよい距離感を守ろうとしますから、他人にしがみついたり、他人を利用しようという打算がありません。つまり良質な人間関係を維持できるというわけです。