現代の資本主義は宗教をも支配下に置いており、宗教自体が「教祖や教団の金儲けの手段」と化している。「信じれば毟られる」のが現実だ。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』鈴木傾城)
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プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。
地獄に堕ちる? 上等だ。宗教という名の貧困ビジネスを警戒せよ
現代資本主義は宗教をも支配下に置く
現代の弱肉強食の資本主義の中では、宗教は信じない方が合理的だ。神も仏も最初から存在しないと割り切った方が、皮肉なことにうまく生きていける。
なぜなら、現代の資本主義は宗教をも支配下に置いており、宗教自体が「教祖や教団の金儲けの手段」と化しているからだ。教祖や教団が、信仰を金に変えている。
どこの宗教も同じだ。仏教も例外ではない。葬式でぼったくり、戒名でぼったくり、墓でぼったくり、坊主はベンツを乗り回して暮らしている。
カルトは信者を脅し、お布施や霊感商法やらで金をふんだくる。新興宗教もやたらといろんなものを買わせ、新聞を取らせ、財産を寄与させ、教祖の崇拝を強制する。
その上、教団のために無償労働させたり、犯罪に駆り立てたりすることもある。教祖や教団に、いいようにこき使われているのである。
「信じれば報われる」のではない。「信じれば毟られる」のが現実だ。信じれば、たちまち毟り取られる。狂信的になればなるほど何も見えなくなり、何も聞こえなくなって、財産のすべてを毟り取られていく。
「宗教が良い悪い」の前に、教祖や教団が金儲けに染まっていることが問題なのである。