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信じる者は奪われる! 運と金が欲しいなら「神殺し」の汚名をかぶれ=鈴木傾城

最も優れたスタンスは「意図的に信じないこと」だ

自然に畏怖の念を感じ、巨大な存在を想い、神や仏を敬うというのは、ある意味で素朴で原始的な感情である。そこまで否定する必要はない。

しかし、神や仏を押し付け、教祖を崇拝するように強制し、疑問を抱かせないように強烈な洗脳を仕掛け、教団のために金品を強要して、信者から金を巻き上げるビジネスモデルを確立した現代の宗教は信じるに値しない。醜悪だ。

この弱肉強食の資本主義の中での宗教は、「信じさせて集金するシステム」であることに気付くべきだ。宗教は金儲けのための仕組みとして存在しているのだ。

だからこそ、宗教は信じない方が合理的なのである。

別にそんなものを信じなくても生きていけるのは、人間社会を観察していればすぐに分かる。うまく生きている人で無神論者はいくらでもいる。うまく生きられない人で神仏を信じている人もいくらでもいる。その逆も然りだ。

だから、いちいち宗教に関わる必要性はまったくない。この弱肉強食の資本主義の中で最も優れているスタンスは「意図的に信じないこと」である。

なぜか。答えは非常にシンプルだ。「信じなければ騙されない」からである。

神も仏も信じなければ、お布施を取られることもないし、戒名に馬鹿高い金を払う必要性も感じないし、得体の知れない気持ち悪い教祖だか教団だかに金品を寄与する気も起きない。

霊感商法や神仏に名を借りた脅しを真に受けることもない。「地獄に堕ちる」と恫喝されても、「お前が地獄に堕ちろ」と逆に気持ちよく相手を恫喝し返すこともできる。

どのみち「信じさせて集金するシステム」なのだから、積極的に、かつ意図的に信じないと決めた瞬間に、騙される危険から外れることができるのである。

宗教が「信じる人間から金を巻き上げるビジネスモデル」と化した今、「神も仏も信じない」というのは生きていく上で基本中の基本であると言っても過言ではない。

Next: 宗教ビジネスは、実は「貧困ビジネス」であると知れ

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