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高度成長の終焉を予見した下村治博士の慧眼~田中角栄、軽薄短小、平成バブルをめぐって

「全治2年の傷」を癒す、重工長大から軽薄短小への模範的転換

重厚長大の製造業を得意としてきた日本は、オイルショックを契機に「省エネ」を標榜して「軽薄短小」経済に素早く切り替えることになる。

1975(昭和50)年当時、田中内閣の後を引き継いだ三木内閣で副総理・経企庁長官を務めた福田赳夫氏は「全治2年の傷を負った」と言った。

おそらく福田氏には「全治2年」の根拠はどこにもなかったに違いない。が、こういう非常時の指導者には、断固「言い切る」ことによって国民全体をその気にさせる能力が求められよう。

かの「哲人投機家」 木佐森吉太郎氏も、クラウゼヴィッツの『戦争論』を引用し「将軍は濃霧の中でも断固として方向を指さすべきものだ」と言っている。それである、と当時の筆者は感銘を受けたものである。

結果的に日本経済は2年で立ち直った。1975年に戦後初めて土地価格が下がったが、翌年から回復した。

株価も1975年秋を大底として9年後には10倍以上になった。当時の野村総研等は、製品の1立方メートルあたりの重量を測定して、重工長大と軽薄短小を論じたものであった。

オイルショック後の日本は、先進国中で最も早く軽薄短小に切り替え、世界の模範となることに成功した。もはや重厚長大の時代は過ぎ去り、重量の少ない製品を作る企業こそ新時代の企業であった。情報、通信、デザイン産業や、薬品等の企業群が花形として脚光を浴びることになったのである。

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