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昔は月額100円だった国民年金保険料、なぜ1万6,610円に?3人に1人が「全額免除」、制度導入の歴史から見えた加入メリット=年金アドバイザーhiroki

34歳以下は月額100円だった

このように所得が低い人も平等に加入させたために、どのくらいの保険料を支払ってもらうかということが問題になりましたが、34歳以下の人は月額100円で35歳以上の人は月額150円を支払ってもらうことになりました。年齢によって区別したのは、年齢によって年金に対する関心が違うだろうと考えられたからです(編注:昭和35年当時の大卒者の初任給は男子1万3,080円・女子1万2,520円となっています。出典:レファレンス協同データベース)。

本当は所得に応じて支払保険料額は変えたほうがいいのですが、所得の把握が不可能だったために一律定額の保険料を支払ってもらうことになりました。

ただ、もう少し将来の年金を増やしたいという人もいたので、昭和45年に付加年金を創設して対応しました。付加年金は国民年金保険料とは別に毎月350円(昭和49年から400円)を支払うことで、年金が200円×加入月数分もらえる年金です。

付加年金は単価が200円ですが、昭和40年代当初から金額が変わっていない珍しい年金です。物価には変動させない積立の年金だからです。

平成3年4月になると国民年金基金が創設されました。国民年金基金も積立年金です。

月額100円から1万6,000円に保険料が上がった理由

今の国民年金保険料は1万6,000円もするのに、当時は貨幣価値は違ったとはいえ、月額100円でよかったというとかなりの差がありますよね。

昔の人はまだ高齢の親や祖父母を養うという考えが強かったので、年金保険料だけでなく自分の給与から親の生活費も支払っていたので、一概に不公平というわけではありません。

年金保険料は安かったかもしれませんが、親を養うための自己負担額は多かったでしょう。

昭和30年代は就労者の4割は農業者でしたが、日本の高度経済成長とともに工業化が進み、地方の人口が都市へ流れ込んで田舎の親とは離れて子どもが働くようになっていきました。

工業化が進むことで、農業従事者からサラリーマンへと変わっていく人が多くなっていきました。

それに伴って核家族が増えていき、高齢になった親は自分で老後のことを考えなければならなくなったのです。

子どもが面倒を見てくれないなら、国が面倒を見るしかないので、年金制度が整備されていく契機となりました。

物価や賃金が著しく伸びた時代だったので、その伸びに年金額も追いつくように引き上げ続けました。年金を引き上げると、当然保険料も引き上げないといけないから、保険料の伸びも高くなっていきました。

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