生命保険料の内訳は「保障」に回す分よりもコストが多い
たとえば、30歳男性の保険期間10年で死亡保険金3,000万円の大手生保の月額保険料は7,000円前後ですが、加入者の万一の保障に回される「純保険料」の比率は、35.2%程度しかありません。
残りの64.8%が「付加保険料」と呼ばれる保険会社の利益とコストに消えるのです。
ネット生保での同内容の保険なら月額保険料は3,200円前後ですが、それでも「純保険料」に相当するのは77%ぐらいにすぎません。「付加保険料」が残りの23%にもなります。
ネット生保のほうが、保障に回る金額は多く、まだましな保障ですが、それでも2割以上がコストで消えているのです。
保険はリスクに備えるものですが、コストがやたらと高くついているのです。
こうした事情に明るくなれば、日本の生命保険商品が、「相互扶助」が反映された商品とは到底いえないことがわかります。
どうしてこんなことになっているのでしょうか。
それは、保険料の内訳をつまびらかに語ることが、マスメディアでのスポンサータブーであり、それゆえに多くの人々が、保険は「相互扶助精神」に支えられている……と大きな誤解をしてくれたからにほかなりません。
つまりは、「共同幻想」」を抱かされてきたのです。
当然ですが、保険会社は、資本主義社会において、営利を目的とする限り、加入者とは「利益相反」の関係になるほかないからです。
「利益相反」ゆえの保険会社の悪辣手口
保険商品の「利益相反」のよい例が、保険会社の加入者への保険金不払い事例です。
保険加入時にはさまざまな特約を付けるよう販売側は薦めますが、2001年から2010年までの10年間で、金融庁が把握した保険金の不払い事例は116万件、総額は1,136億円にも上りました。
保険会社は管理体制がアバウトで、「加入者から特約の請求がなかったので、保険金の支払いを見逃した」などとトンデモナイ言い訳をしたものです。
こうした悪辣な体質は、「医療保険」の契約においても見られます。
「脳卒中で倒れても、医師の診断後60日以上にわたって言語障害などの後遺症が続かなければ保険金の支給は対象外」などとなっているからです。保険会社は、加入者に支払うべき保険金を、いかに少なくできるかに腐心しているわけです。
「利益相反」になるゆえんなのです。