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ウクライナの次は北海道か沖縄か。戦争で奪われた領土を話し合いで返してもらえると思う甘さと浅はかさ=鈴木傾城

共産主義は民主主義陣営にとって大きな脅威だった

戦後の日本が経済復興できたのは、アメリカが日本を共産主義化するのを避けるために、自国市場を開放したからである。

当時、ソビエト社会主義共和国連邦が強大に台頭しつつあって、アメリカと敵対化していた。アメリカの敵は「共産主義者」だった。日本が敗戦した後、ソ連に飲み込まれて共産化してしまうと再び日本はアメリカの敵となる。

だから、アメリカは日本を共産化させないために自国市場を開放し、日本を立ち直らせて共産主義の防波堤とすることにしたのである。

アメリカはその後、朝鮮戦争を戦い、ベトナム戦争を戦ったが、これらも「共産主義を放置すれば世界が次々と共産化してアメリカの敵になる」というドミノ理論に支えられたものだった。

事実、東南アジアではベトナムが共産化し、ラオスやカンボジアも、次々と共産主義に落ちていった。

今でこそ「共産主義」は、破綻した理想主義思想として、世の中の嘲笑の的になっているが、1950年代から1980年代までは共産主義は民主主義陣営にとって大きな脅威だったのだ。

アメリカがソ連と直接的な軍事対立をしなかったのは、両国共に核兵器を大量に保有していて、直接的にぶつかると間違いなく第三次世界大戦となって核爆弾が飛び交うことになる可能性があったからだ。

そのために朝鮮戦争やベトナム戦争は米ソの「代理戦争」と呼ばれていたが、直接的に軍事対立がなくても共産主義国家と自由主義国家は激しく対立していた。この緊張関係を「冷戦」と人々は呼んだ。

グローバルな目で見ると、日本の経済的な繁栄は、まさに「冷戦」の構図の中で生まれ、育ってきた。アメリカが日本を敗戦のガレキの山から引き上げ、日本に自由をもたらした。

日本の経済発展はアメリカが予期していた以上にうまくいくようになり、1980年代になると、経済規模ではアメリカを脅かすようになっていった。

アメリカは1975年にベトナム戦争に負けて、敗戦ショックで経済停滞が長く続いたが、日本はひとり経済成長を謳歌しており、1985年からはバブル経済に突入してアメリカ中を買い漁るような時代になった。

Next: 状況が変われば、また日米は離反するかもしれない

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