インターネットは「言葉の暴力地帯」である
すでにインターネットは罵詈雑言が渦巻く荒廃した暴力地帯となっており、その傾向はますます拍車がかかっている。SNSなどは「憎悪の増幅装置」であると断言するITジャーナリストもいるくらいだ。
もともとインターネットのシステムは、言葉の暴力を誘発しやすい素地がある。
2010年頃からは実名性であれば無益な誹謗中傷は減るのではないかというアイデアがなされて、それがFacebookのようなSNSで実現化していった。しかし、それで誹謗中傷はインターネットの世界から減ったのか。
もちろん、減るわけがない。
Twitterのような匿名の空間は相変わらず残っているし、実名ベースのFacebookの中でも意見の対立があると、やがて激しい言い合いとなって言葉の暴力が必ず生まれている。YouTubeでも誹謗中傷が渦巻いている。
三崎優太氏はこれを「殺人プラットフォーム」と言っているが、ほぼすべてのSNSは殺人プラットフォームとなるのだ。現実の世界で暴力と憎悪が満ち溢れているのであれば、それはどのような形であってもSNSに反映していくからだ。
子供のいじめもSNSに持ち込まれていて、「ネットいじめ」という形で定着している。SNSが「言葉の暴力地帯」であることは、子供たちこそが身近に感じている。今はもう、ありとあらゆる人がこの殺人プラットフォームとは無縁ではない。
今後もさらにSNSが社会の深部に定着し、人々は24時間365日、SNSに依存するだろう。そうすると、誹謗中傷・罵詈雑言は今後も強烈なまでに拡大していくのは避けられない。
憎しみや怒りや残酷な感情が芽生えたとき、手元にスマートフォンがある。どこにても気軽に何かを書き込むことができる。だから、標的に向けて憎悪を表現する人間が増える。
そして、誹謗中傷・罵詈雑言は時代を積み重ねるほど、書く方も読む方も一種の慣れが生じて、よりエスカレートしていく。そして、SNSは三崎優太氏が言う「殺人プラットフォーム」となっていくのである。
事態はどんどん最悪に向かって突き進んでいく
人間は誰もが暗くマイナスの感情を持っている。だから、SNSというインフラが用意されて、そこに数十億人もの人間が乗っかっているのであれば、壮絶なる誹謗中傷の場になるのは、当然の帰結だったのだ。
それは決して沈静化しない。SNSの世界では、言葉の暴力が永久に記録されてそこに残る。だから、事態はどんどん最悪に向かって突き進んでいく。
殺人プラットフォームと化したSNSの誹謗中傷が原因で自殺している人たちは、決して著名人だけではない。普通の人も当然、巻き込まれていく。激烈な中傷に耐えかね、言葉の嵐に身をすくませ、標的にされた人は疲れ果てて死を選ぶ。
自殺だけが問題なのではない。そこに至らなくても、ショックを受け、心の底から傷つき、精神的な問題を抱える人たちの方が多いだろう。
SNSは、こうした状況を増長させている。SNSは「健全な意見の増幅器」としての役割を果たすが、悪意も増幅するのだ。
何とか事態を打開しようと、いくつかのSNSは問題のあるユーザーのアカウントを次々と閉鎖しているのだが、どんなに閉鎖してもすぐに新しいアカウントが作れるのだから、何の意味もない。ただのイタチごっこである。
そもそもSNSだけでなく、掲示板でも、コメントでも、動画配信でも、ありとあらゆる「投稿の場」は殺人プラットフォームとなる。Yahoo!のコメントも、記事の内容によってはしばしば問題投稿で閉鎖されている。
知らなければならないのは、牧歌的で誹謗も中傷も罵倒もないSNSが生まれることは100%ないということだ。リアルの世界でも人間関係の対立やもつれや決裂があるのだから、SNSでもそれが持ち込まれて当然なのである。
むしろ、最悪の事態になるまで悪化していくと思わなければならない。目を背けたくなる一歩手前まで状況は悪化していくことになる。
規制など意味はない。規制をすり抜けて、どんどん巧妙になって言葉の暴力と憎悪は浸透していく。それが激しい勢いで個人に向かっていき、その人が破壊されるまで続く。