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日本ブランド神話が中国で完全失墜。無印良品・イトーヨーカ堂ほか中国進出成功企業を軒並み苦境に陥れる“脱日本化”というトレンド=牧野武文

中国の客層を見誤ったイトーヨーカ堂の失策

イトーヨーカ堂の戦略の特徴は、店舗を拡大しないということです。成都で10店舗、北京で1店舗を展開していますが、それ以外の都市には結局展開をしませんでした。中国では1都市で成功したら、一気に他都市展開をしてスケールするのが常識なのにそれをしなかったのです。多くの中国人関係者が、これをイトーヨーカ堂戦略の誤りと見ていました。

イトーヨーカ堂がなぜスケールしない戦略を取ったのか、確かなことはわかりませんが、私はなんとなく理解できます。イトーヨーカ堂は1997年11月に成都春熙店、北京店の連続開店を予定していましたが、北京店の開店が準備の遅れにより開店ができなくなりました。そこで、北京店用に用意をしていた商品を成都店に転用をしましたが、これが大失敗でした。

北京と成都では食べるものの好みがまったく違います。北京は饅頭などの粉物文化ですが、成都は四川料理の中心地です。また、北京ではモノトーンの衣料が売れると見込んでいましたが、成都の女性は原色が大好きです。

開店初日から惨憺たる有様で、売上は想定の1/3でしかなかったのです。それ以降も、成都の消費者から見れば「なんか勘違いした商品ばかりの百貨店」と見られ、3年ほどは鳴かず飛ばずというよりも、いつ撤退してもおかしくない状況が続きます。

地元密着に変身、人気の百貨店に成長

この大失敗により、有名な幹部によるドブ板マーケティングが始まります。日本人経営層も、日本人コミュニティの中で生活をするのではなく、現地の中国人コミュニティに積極的に入っていき、中国人が食事をし、遊びに行く場所に行き、どのような消費性向を持っているのかを体感していきます。また、商圏にあるご家庭を家庭訪問し、どのような商品を買い、どのようなものを食べているのかを記録し、データを積み上げていきます。有名な話ですが、住宅から出るゴミを漁って、どのような商品を購入しているのかを調査したという話もあります。

このような努力の末、現地にあった商品構成に変えていき、そこに「日本の食品は安全」「接客が丁寧」というポジティブなイメージが加わり、成都市の中産階級の人がベストワンに選ぶ百貨店+スーパーに育っていきました。

このような地元に超密着する手法であったため、簡単に他都市に展開できなかったのだと思います。もちろん、他都市でもゼロからドブ板マーケティングをすれば成功する可能性はじゅうぶんありますが、それでは販売する商品構成が成都と大きく違ってしまい、チェーンとしてのスケールメリットが生まれません。であるなら、成都の中で深掘りをしていき、業態を多様化させる方向に進んだほうがいいのではないかと考えたのではないかと想像します。

しかし、誤算なのは、この20年の中国の変動ぶりは想像以上に速かったということです。じっくりビジネスを組み立てていくやり方だと、すべてが後手に回るようなことになったのかもしれません。

中国での日本企業、日本製品は非常に高く評価されています。その一方で、イトーヨーカ堂のように素晴らしい仕事をしても、少しでも緩い部分があるとライバルにやられてしまう。中国市場にはそんな厳しさがあります。

しかし、日本のイメージは高評価であるだけでに残念でなりません。もったいないという悔しい思いがします。

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