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次期日銀総裁・副総裁3人の学歴偏差値は史上最高。開成高校出身・岸田首相が秀才を選択した理由とは?=山崎和邦

日銀の新総裁となる植田和男氏は、世界最高といえる経済学を学んできた。東大数学科から経済学部に編入、その後、マサチューセッツ工科大学に入り、世界最高の経済教育を受けている。副総裁となる永見野良三前金融庁長官と内田真一理事も、全国模試で常にトップクラスにいたという秀才揃い。開成高校出身の岸田さんならでの人選だが、今後の金融政策を彼らに委ねられるのか?私は期待できると考えている。(「週報『投機の流儀』」山崎和邦)

※本記事は有料メルマガ『山崎和邦 週報『投機の流儀』』2023年3月19日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にご購読をどうぞ。

日銀植田新総裁に期待がもてる理由

植田和男氏は、世界最高の経済学を学んできた人だ。東京大学理学部数学科出身で、経済学部に学士入学して、東大経済学部教授をやり、そして98年~2005年まで、日本の金融の混乱の最中に日銀審議委員を務めて的確な発言をして、ほとんどその全てが的中してきた。

金融やマクロ経済に対する最高の知識を持っている。しかも、マサチューセッツ工科大学(MIT)で世界最高の教育を受けた。MITからは御承知の通り、何人ものノーベル賞受賞者を出している。

しかも東大理学部から経済学部に転部している。数学と経済学を両方やったのだ。筆者が学生時代にポール・A・サミュエルソン教授の書いた「Economics」の英語の原書を3ドルで買わせられて、400ページの原文を、辞書を引きながら教科書として読ませられた。

植田さんは、東大理学部数学科に入って経済学部に転入し、サミュエルソンの居たMITで最高の勉強をしてきた。そして、日本の金融市場の最も難しいところで、日銀審査委員を務めた。量的緩和やマイナス金利についての論文を書いて、結果的には黒田さんを支持したことになる。

当時、速水元総裁が、早すぎるゼロ金利政策と量的金融緩和を解除したために、日本はますます混乱に陥った。その日銀を、植田さんは批判した。その批判は的中した。当時は97年の日本の金融危機が起こり、二大証券が潰れ、一大都銀が潰れ、数社の地銀が潰れた。97年の11月、1ヶ月にまとめてそういうことが起こった。その年の日本は金融危機の地獄を覗いた。

そして、その翌年がアジア金融危機である。2003年に小泉政権が180度政策転換して、公的資金を一挙にぶち込んで、13年続いた不良債権問題を解決した。

筆者が「失われた13年」と言うのは、89年の3万8,915円から2003年の7,600円、株価は5分の1になり、GDPも減って、時価総額も激減した、この不良債権不況の期間を言う。リチャード・クーの言う「バランスシート不況」である。

これを小泉首相が公的資金を注入して、一気に片付けた。

学者としても最高レベルの植田新総裁

その期間、植田さんは日銀審議委員だった。実務家としての経験も、最高の時期に経験している。学者としても最高のレベルに行っている。しかも、人格的に筆者が尊敬してきた故・宇沢弘文教授のもとで、数理経済学を学んだ。

宇沢さんは、元々数学者だった。宇沢さんはシカゴ大学教授だった。シカゴ大学はノーベル経済学賞受賞者を最も多く輩出している。そのもとで植田さんは学んだ。数学と経済学の二つの分野を学んだことは、大いに経済学に役立ったはずである。

今はちょっと人相が悪くなったけれども、昔、日本経済学会の会員だった頃の植田さんは、シャープで男前だった。頭脳も行動力も冴えていると思う。

2000年代の始め、つまり、長い不良債権不況で日本が沈没してきた「失われた13年」の末期に、旧経済企画庁(その頃は内閣経済社会総合研究所に変わっていた)にいた浜田宏一氏(米イェール大学名誉教授)は、安倍内閣創設時に内閣官房参与で「三本の矢」の構成に大いに貢献した。この浜田宏一氏は、金融を拡大しないことが、日本の産業を苦しめていると不良債権時代に大いに進言したが、当時は受け入れられなかった。

筆者が三重野元総裁とともに批判の対象としてきた、速水優元日銀総裁の時代であったから、日銀不作為の時代だった。浜田氏の言い分も植田氏の言い分も、おそらく速水氏は理解していなかったのだろう。金融政策の効果は、日本では非常に低く評価されていた。

金融政策の最難局期を経験した強味

黒田総裁の緩和路線を大局的には継承する、植田新総裁を選択した岸田内閣の決定は正しかったと思う。日銀総裁は、金融政策やマクロ経済に対する最善の知識・最高の知識を持つことが望ましいが、植田さんはそういう人に相違ない。

植田新総裁は、日本の金融政策で最も難しい時代を乗り越えて来た。不良債権不況の末期から日本の金融危機の翌年、さらには不良債権危機の末期を通り過ぎ、公的資金注入を経験し、その最も重要なところで日銀審議委員として実務に就いていたのだ。

本来、経済政策の目標を決定するのは政府である。しかし、過去、速水元総裁は日銀が政策目標を決められると勝手に解釈して、金融引き締めを優先させた政策を実行し、日本経済をますます悪化させた。我々投資家は、その期間をくぐり抜けてきた。そうして、初めて黒田総裁に遭遇した。黒田総裁になってから、結果的に経済人・市場参加者は、概ね上手く行ったと思う。

黒田さんだけの功績ではないが、結果的には民主党時代に50万人減らした勤労人口を、500万人増加させることができた。対外資産も増やした。時価総額も2倍以上にした。08年にリーマンショックが発生して、諸外国は手段を問わずに金融緩和を行ったが、日本には金融危機そのものが起きなかった。余波を受けて株は暴落したが、金融危機は起きなかった。

しかし、日本は円高に苦しめられた。アベノミクスの「第一の矢」(大胆な金融政策)が発動されて、円高不況から脱却して、日本経済を救うことができた。それで労働人口も激増させた。

こういう業績を忘れて、その副作用だけを云々するのはよろしくない。英雄の末路憐れむべしと、筆者は黒田政策の真っ最中から言ってきた。

「黒田東彦総裁の今まで採ってきた緩和路線を大局的には継承する岸田内閣の決定は、望ましいものであると思う」
(浜田宏一氏米イェール大学名誉教授・安倍内閣時代の内閣官房参与、週刊誌Newsweek誌日本語版、2月28日号)。

Next: リフレ派が消え自由度が高まった植田新総裁は何をやるのか?

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