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本当は怖い「推し活」。浪費をやめられないカルトに似た構図があることに気づけ=鈴木傾城

この「推し活」による光景を、「新しいカルトのようだ」と評する人もいる。まさにその通りでカルト集団の教祖と信者の関係を、そのままエンターテイメントに落とし込んだのが「推し活」だったのだ。

表社会ではアイドルグループを追いかけて全国行脚し、数百万以上を「推し活」に使ったという人もいる。裏側では推しのホストを相手に「推し活」をして、数千万どころか数億を貢いだ女性もいる。

その結果として、「推し活借金」「推し活破産」が生まれてくる。そこまでして「推し活」にのめり込むのは、それが時代の風潮として煽られているという見方もできるし、資本主義の「消費文化」にどっぷり洗脳されているという見方もできる。

いずれにせよ、それは持続可能なライフスタイルではないのはたしかだ。

金を増やす人間と、金を使う人間の二種類がいる

人は誰でも自分の趣味に合ったものがある。好きな歌手、好きな歌、好きな芸能人、好きな人がいる。好きなのだから、それに関連したものを集めようとするのは自然なことだ。「推し」は誰でもあるのだ。

だから、けっして「推し活」を否定するものではない。

しかし、世の中には限度というものがある。「推し活」にのめり込んで莫大な金を使っている人は、「推しの養分」になっているということだ。

ただ、それをふと自覚したとしても、彼らがとめられるのかどうかは未知だ。「推し活」はカルト教団の洗脳装置をそのまま右から左に持ってきたような側面があるからだ。いったん、洗脳されると場合によっては一生抜けられないこともある。

アイドルグループを推して破産する人や、ホストに入れ込んで破産する人を見て、第三者は「なぜ、あんなものに金が使えるのか?」と思うのだが、「推し活」というのは現代のカタチを変えたカルトであると考えたら納得できるはずだ。

カルトにはまった人間は個人の判断力が低下しており、カルトのリーダーの指導に従順になるように常に働きかけられている。

そして、カルト内では内部のコミュニティが非常に強力である一方で、外部の社会とのつながりは逆に希薄になる。社会的に孤立していき、カルトの内部に依存する傾向が強まっていく。

そして、カルトは個人のアイデンティティをカルトに結びつけるので、カルトを離れることは自己のアイデンティティを喪失するのと同じになる。ただ、こうしたものを外部が批判すればするほど、内部は「外の世界は危険だ」という認識になり、より結束が強まる。

「推し活」がカルトのそうした仕組みとかなり類似している現象であるとしたら、推し活をする人間が目が覚めるのは難しそうだというのがわかるはずだ。

Next: 「自分が養分にされていないか?」を確認する必要

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