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「貯蓄から投資へ」の残酷さ。政府は国民を切り捨てる意図で投資を奨めている=鈴木傾城

上げ下げだけに着目するのは単なる運試し

株式市場でも、売って買ってを繰り返せばギャンブルになる。ギャンブルはたいてい負けるのが関の山だ。

ただ、このギャンブルは勝てる確率が非常に高い時期と、負ける確率が非常に高い時期があって、うまく入ってうまく出られた人はギャンブルしているのに投資をしたかのような結果を手に入れることができるようになる。

たとえば、1985年の日本の代表的な株式を相手にバクチ的な手法で売り買いして、1989年にそれに飽きて足抜けしていたら、その人は「もしかしたら自分は天才ギャンブラーなのか?」と勘違いするほど勝率が高かったはずだ。

なぜなら、この期間の日本株式市場は巨大バブルのまっただ中にあったので、何を買ってもそれなりに勝てたからだ。

しかし、バブルはいつ終わるのかは誰にもわからなかったので、1989年に足抜けできた人はほとんどいない。そのため、結局は1990年以後のバブル崩壊に巻き込まれて、それまでの運をすべて吐き出す結果になってしまっていた。

同じことが2000年に起きたITバブルとその崩壊、あるいはその後に起きた新興市場バブルとライブドラショック、あるいは2017年に突如として起きた仮想通貨バブルとその崩壊、2020年3月のコロナショックでもいえる。

ギャンブルは勝てる時期があるのだが、その時期が終われば一気に持ち去られていくのが世の常だ。バブルが崩壊して相場が下落していく最中は、何を買ってもいつ買っても負ける。相場はとにかく下げ続けるからだ。

勝ちやすい時期と負けやすい時期がある。しかし、上げ下げだけに着目していたら、それは単なる運試しであり、投資にはなりえない。

投資は勝てた理由が説明できるし再現性がある

もし、株式投資がこのように「株価の上げ下げに賭けるもの」だけであったら、まともな人は株式投資などは公営ギャンブルかパチンコと同じだと思って近づかないはずだ。

しかし、株式投資が他のギャンブルと唯一違う点がある。それは株式というのは発行元が企業であり、その企業の事業や財務を分析すると将来の価値が見えてくることである。つまり、企業の内容をしっかり把握し、財務分析をすることで「将来価値」が読めることがあるのだ。

もちろん企業によって将来価値が読みやすい企業もあれば読みにくい企業もあるので、一概に分析すれば「将来が読める」とは言い切れない。それでも「読みやすい企業」というのがあるというのは事実だ。

これは、きちんと分析した結果として「将来性がある企業の株式を保有」しておけば、何も運やカンに頼らなくても勝てる確率があるということを意味している。

たとえば、将来性と継続性のある事業をしている企業があって、事業が人々に受け入れられていて、大きなブランドもあって、利益も毎年しっかり出していて、配当も継続して出していて、毎年のように増配している企業があるとする。

この企業に投資して株を保有しておけば、短期の株価変動に巻き込まれて買値を割ったとしても、事業が成長して利益も出し続けるのだから、いずれは株価も上がっていくと予測することが可能だ。

そこに金を張るというのはギャンブルではない。それは「投資」になる。ギャンブルはなぜ勝てたのか負けたのかが説明もできないし再現もできないのだが、投資は勝てた理由(場合によっては負けた理由)が説明できるし再現性がある。

Next: 政府はもう助けてくれない。ギャンブルではなく「投資」をするには?

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