今回は三井不動産<8801>についてです。「ららぽーと」なども非常ににぎわっていて、皆さんの周りにも三井不動産が運営するショッピングモールがあるかと思います。三井不動産の具体的なビジネスの中身がどのようになっているかということを改めて見ていきます。(『 バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問 バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問 』栫井駿介)
プロフィール:栫井駿介(かこいしゅんすけ)
株式投資アドバイザー、証券アナリスト。1986年、鹿児島県生まれ。県立鶴丸高校、東京大学経済学部卒業。大手証券会社にて投資銀行業務に従事した後、2016年に独立しつばめ投資顧問設立。2011年、証券アナリスト第2次レベル試験合格。2015年、大前研一氏が主宰するBOND-BBTプログラムにてMBA取得。
三井不動産が「街を作る」3つの柱とは
三井不動産は大手の不動産会社ですが、デベロッパーとしての色が強く、“街を作っていく”という会社です。どのようにして街を作っているかということが、セグメントの状況から見て取れます。
「不動産賃貸」「不動産分譲」「マネジメント」が3つの柱となっています。
「賃貸」には大きく2つあり、オフィスと商業用施設です。
賃料の内訳としては、オフィスが4,460億円、商業施設が2,865億円となっていて、オフィスの方が大きいということです。
「分譲」の分野ではマンション分譲を行っています。
三井不動産の面白いところは、ビルを開発して、一部は自分で持ったまま賃貸に出すのですが、作ったマンションを外部に売ってしまってそこで売却収入を得るというビジネスモデルもあるところです。不動産投資家やREIT(不動産投資信託)に売却する流れになっています。
分譲の内訳は、住宅で3,144億円、投資家向け海外住宅分譲で3,132億円とほぼ半々となっています。
あとは「マネジメント」です。
住宅にしろオフィスにしろ、売って終わりではなくその後の管理がサービスとして必要になるのでそこも担っています。
このように様々なビジネスが組み合わさって三井不動産という会社を形成しています。
具体的な中身としては、オフィスビルとして昔からあるのが霞ヶ関ビルディングや三井本館があり、地域としては東京駅の東側の地域に物件を持っています。(日本橋三井タワー、グラントウキョウノースタワー、東京ミッドタウンなど)
三菱地所ほどではないですが、都心に良い物件を持っています。
少し郊外だと、アウトレットパークやららぽーとなどを作っていますし、戸建てやホテルもやっていますが、賃貸と分譲がやはり大部分となります。
三井不動産の沿革
三井不動産は“三井”という名の通り、三井財閥から始まったものです。
関東大震災後、震災の2倍の強さの地震が来ても壊れないものを作るべしという号令の下、三井本館を建設しました。
そこから不動産事業を拡大していき、郊外や東京湾周辺にも進出していきました。
高度経済成長期前には臨海部の埋立事業に取り組み、大規模コンビナートや企業団地の形成に大きく寄与し、これを機に三井不動産はオーガナイザーとしてデベロッパーへの道を歩み始めたということです。
さらに1960年には東京ディズニーランドの運営会社であるオリエンタルランドの設立にも関わっています。現在もオリエンタルランドの株式を5.44%保有していて、大株主として残っています。
昭和46(1971)年には国内初の高層マンション「三田綱町パークマンション」を建設していて、タワーマンションにも先見があったということです。
1981年に三井ショッピングパークららぽーとTOKYO-BAYを開業しました。アメリカ型のショッピングセンターを導入し、今でも拡大を続け、一つの街を形成しています。この事業がいかに成功だったかを物語っています。
アウトレットにも常に多くの人々が訪れていて、ショッピングというものが娯楽になり得るということを見事に示してくれた会社だと思います。今の商業施設の基礎を三井不動産が作ってきたと言えます。
2021年には「日本ビルファンド投資法人」を設立し、バブル崩壊後に不動産会社が新たなビジネスモデルを求められる中で、不動産投資信託のパイオニアとなりました。
賃貸で不動産を持っていることも安定収入のためには良いですが、不動産価格が大きく下落することもあり、また資金を寝かせたままになってしまって効率が悪いです。REITができたことによって、建てては売って、売って得たお金をさらに次の開発に使うというサイクルを作り出せるようになりました。
リーマンショックの時には不動産証券化が悪者扱いされましたが、不動産会社にとっては開発を活気づけるきっかけになっています。三井不動産はそれのパイオニアになっただけでなく今でも上手く活用し続けています。